(きょう二回目の投稿ですと書くのは今回限りにします。)
近藤正臣さん、役所広司さん、坂上忍さんの3人が去年11月に亡くなった火野正平さんを語っていた番組をわたしは録画していました。
役所さん、坂上さんはそれぞれ一回見ただけですが、近藤さんのは5・6回見たと思います。
近藤さんは、こういう取材は一切受けないそうですが、今回それに応じたのは火野正平さんは弟であり自分はお兄ちゃんだからだと言っていました。
火野さんは女性のうわさが絶えない人で、今なら、コンプライアンス違反で首になってもいいような人でしたが、ゼッタイにそういうことにはならないのは、コンプライアンスとは女性が訴えて初めて有効になることだからです。
セクハラも、被害者がセクハラだと思ったらセクハラになるのと同じ理屈です。
火野さんにそれは当てはまりません。
女性は恨みに思うことはあっても火野さんを憎んだことはなかったと思うからです。
つまり、憎めない何かを火野さんは持っていたということです。
そこが根本的にほかの男性とは違うのだと思います。
坂上さんが火野さんは男惚れする人だったと言っていました。
男が惚れる男を女性がほっておくわけがありません。
とにかく、自由奔放で、天真爛漫で、天衣無縫で、融通無碍で破天荒な人だったようです。
世間にもだれにもへつらったりおもねったりしなかったのは火野さんくらいではないでしょうか。
男が惚れたのは、自分にはしたくてもできないことを火野さんがしていたからではないかと。
坂上さんが言っていましたが、火野さんの生き方に憧れて真似した後輩たちは、みんな人生の敗残者のようになったと。
当たり前です。
火野さんにあるのは天性であって、真似のできるものではないからです。
火野さんにあっては、世間体も社会のルールもあってなきがごときものだったようです。
将棋をしても勝てなかったのは、火野さんがズルをしていたからであり、相撲を取っても嚙みついたりくすぐったりと「なんでもしよる」と言って、その次にでてくる言葉が「悪いやっちゃ」ではなく「ええやっちゃ」となるのが笑えます。
可愛くて仕方ないような口ぶりなのです。
面白かったのが、火野さんに誘われてナンパに行ったときのエピソードです。
まったくお酒が飲めない近藤さんが、ナンパに行くというので少しだけ飲むのですが、結局「誰も取れなかった」(取れ高ゼロ)結果に終わります。
「火野正平とオレがやで」と言っているのは、女性に見る目がないと言いたかったのでしょうか。
ナンパの仕方が分からなくて、こっちから声をかけるのかと訊き、それを聞いて呆れた火野さんにこう返されています。
「お兄ちゃん、頼むわ、ナンパやで、ナンパされに行くんやないんやで」
男性の中には、年を取ると顔が変わってしまう人がいます。
火野さんはまったく変わりませんでした。
形が崩れなかったのは、精神そのものが健全だったからでがないかと思います。
ほんとに、最後まで火野正平でした。
また、近藤さんを見ていて思うのが「姿」がいいことです。
姿勢がいいとは主に外見を見て言うのですが、「姿」はそれだけにとどまりません。
その人の来し方、生き方がすべて姿に表れます。
そう思うと、あだや疎かに生きていてはいけないと思います。
火野さんのことを話すときは完全に京都弁になり、それ以外は東京弁や標準語になり、わたしは二か国語を聞いているような錯覚に陥りました。
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-33889092"
hx-vals='{"url":"https:\/\/taninoyuri.exblog.jp\/33889092\/","__csrf_value":"188ee60d9b2bdeb8fcd303f6a096d926fe93893800a7da8f37fadcfdb7a28ddff72a188a52df43ba2155b48cf15c848cfab4989cd359874fd5ee5de8ac17d667"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">