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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

日本の戦後は統一、創価の日本乗っ取りの歴史だった。

大きく寝坊してきょうは更新を止めようかと思ったのですが、、

サッカー一色になって、統一教会の問題が後退していませんか。

わたしは、解散命令が出ても抜け道はいくらでもあり、かれらはしぶとく生き続けるのではないかとちょっと絶望的な気分になっています。


なぜなら、統一教会は戦後の日本そのものだっと言ってもいいくらい日本に深く浸透しているからです。

自民党だけでなく、日本の上層部、保守だと思っていた政治家や言論人は、みんな教団と一心同体だったからです。

自民党は生き残るために教団と一緒になって問題の鎮静化、矮小化に死に物狂いになるのではないでしょうか。


「日本会議」や「日本財団」など「日本」と名の付く組織はみんな教団の隠れ蓑でした。

その実体は反日です。


高額献金や二世の問題を小さいこととは言いませんが、そこで終わってしまうようなことにならないかと心配です。


地方の首長選では、相変わらず自民や公明が勝っていてその虚しさといったらありません。

政治的無関心という病気は不治の病だったのかと。

覚醒したと思ったのはつかの間の夢だったのかと。



関係性と動機、それに明らかな証拠がないすべての事件には、統一と創価がかかわっているとわたしは思っています。

政治家や芸能人の自殺も実に不可解です。

法医学の権威が、自殺のほとんどは他殺だと言っていましたが、その有名人の自殺に関わっていたのが統一と創価だったのではないかと思えてなりません。

CIAに殺された人、宗教団体に殺された人の数は予想をはるかに超えそうです。



戦後の大事件の影に宗教団体ありといっても過言ではありません。

儀式殺人と言われた事件もそうでしょう。

すでに解決したことになっている神戸の事件、オウム事件、事件ではありませんが日航123便にもかれらの影がちらつきます。

警察が最初の目撃者の証言を無視したり変えさせたりするのは、ケネディ暗殺でもそうでしたし多くの事件でも普通にあることです。


世田谷の事件など、犯人が特定されていると言われているのに警察は動きません。

必ず犯人を挙げるといっている刑事がいますが、演技ではないのだとしたら、警察内部に解決を阻止する勢力が存在するということです。

警察の腐敗は政治の腐敗より恐ろしい。

警察の浄化は政治のそれより難しい。



日本の戦後は、統一、創価の日本乗っ取りと同時進行していたのです。

文鮮明の発言からは、日本を支配して、日本人を土下座させたいという怨念、憎悪がにじみ出ています。


皇室が今に続いているのが奇跡に思えるくらい、かれらの皇室へのアプローチは陰湿で邪悪で巧緻に長けたものでした。

日本の天皇にとって代わろうとしていたのです。

いくら呑気で人のいい日本人でもそれだけは許せなかったでしょう。



サッカーで日本が勝ち進めば、統一の問題が忘れられるというか、その間にかれらが生き残るための戦略、戦術を立て直すかもしれないなと思って、ジレンマを感じます。



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# by michi-no-yuri | 2022-11-25 10:44 | Comments(0)

いまの日本に是が非でも必要だった一勝。

サッカーのファンでもなく試合を見ることもないわたしですが、みんなが喜んでいるの見ることで最高に幸せな気分になりました。

オリンピックも散々だったしコロナで国中が閉塞感に陥っていたときに、この勝利が一気にそれを吹き飛ばしました。

何かが噴出し爆発しました。

わたしはどの国より、いまの(外来の宗教で汚された)日本にはこの爆発が必要だったのだと思いました。


コロナやワクチンの後遺症で全快の望みも奪われて病床にある人や、外に出るのが怖くて引きこもっている何万人といわれる人も、ゴールの一瞬には歓声を上げたのではないかと想像してちょっと胸が熱くなりました。

あるいは、渋谷のスクランブル交差点で見ず知らずの人が肩を組んでぴょんぴょん飛んでいる中に自分もいるような気持ちになったのではないかと思ったりしました。


それにしても、浅野拓磨さん(堂安さんも)いい顔している。

幕末の志士の中にこんな顔があったような、、



王さんの記録を抜いた村上選手が、早々とメジャー行きを宣言してがっかりさせられました。

日本はまだ戦後から抜け出せていないのだと思いました。

こんなに、アメリカへの憧れをまだ色褪せることなく持てることに感心させられます。


村上さん、あなたの野球で日本の国民を楽しませてほしい。

日本を元気にしてほしい。


華麗なプレーでアメリカ人のこころを捉えたイチローさんも、日本に帰ってからはなんとなく居場所がない感じです。


なんで野球ファンはメジャーに行かないでと言わないのでしょう。

アメリカ帰りが勲章になったり、箔が付くような時代でもないのにと思うのですが。

(そこが外国でプレーすることで実力や人気をかちとっていくサッカー選手と違うところでしょうか。)



ブログ「Walk in the Spirit」

がドイツの敗因は、試合前の写真撮影で全員が口をふさぐポーズをして、FIFAが虹色のキャプテンマークの使用を禁止にしていたことに抗議していたことだと書いています。

「イルミの人口削減アジェンダ(LGBTQ)でサッカーやっちゃぁいかんぜ」と。

ほんとうにもう気付いてほしい。

すべての道は人口削減に向かっていることを。

それをいいことのように思うって、究極の倒錯です。



 伊勢神宮の自分を神さまだと思っている?にわとり。

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# by michi-no-yuri | 2022-11-24 10:05 | Comments(0)

いま国民に防衛費の負担を求める政府の非情、非道。

28日間という長丁場でサーッカーのワールドカップが始まりました。

この間に何かが仕込まれているような気がしないでもありませんが、そうでなくても自然発生的な事件や暴動が起きそうな予想はできます。



政府の有識者会議が、防衛費増額の財源について国民全体の負担を必要とするという最終報告書をきのう岸田総理に提出しました。

元防衛相の岸信夫さんは今は総理補佐官になっていますが、その岸さんが増額に積極的に動いていたようです。

「見せかけではなく、真水(純粋な防衛予算)を。」と言っているのですが、意味が分かりません。

今までの防衛予算は見せかけだったのでしょうか。


「我が国は、ロシア、中国、北朝鮮の三正面に対峙しなければならない。世界でも有数の厳しさだ。」

と言っているのですが、自分たちの都合でつくった「厳しさ」ではないのかと怒りを覚えます。

でも、今からでも遅くありません。

先日、総理は習主席と笑顔で握手を交わしていたではありませんか。

(習さんってあんなに社交的な人だったっけと思うほど人が変わって見えました。)

もう、ウクライナはダメなのです。

まさか、まだ支援するとは言わないでしょうね。

NATOが雪崩をうつ前に、日本はロシア制裁を解くべきです。


日本の防衛費増額と北朝鮮のミサイル発射が連動していることくらいは分かってほしい。

その連動を主導した主役はだれでしょう。

安倍さんの亡霊ですか。

アメリカですか。

統一教会ですか。


日本が防衛費を増額すれば、アメリカ、日本、北朝鮮の三国が三方良しになることくらいはもうバレています。

国と言っても、そこに国民は存在しません。

防衛費増額の裏で、国民がどれほど苦しむことになるかなど、かれらの知ったことではありません。


バカにするな!と思います。

こんなことをしていて、統一教会との縁が切れるとは思えません。

まだまだ、政府は事の重大さ深刻さが分かっていません。

北にミサイルを撃たせているのが何よりそのことを物語っています。

拉致問題など付け足しで、眼中にもありませんから。


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それにしても、よくこんな時期に防衛費の国民負担が言えるものだと憤懣やるかたありません。

北に撃ってもらったミサイルでもう国民も危機を肌で感じたはずとでも思うのですか。

凄いことですね。


オミクロンがパンデミックに突入し、物価は上昇して多くの国民が生活苦にあえいでいるときによく防衛費の国民負担が言えるものだと絶句します。


浜田防衛大臣が、国民を守るためとか言っていましたが、古今東西戦争で国民が守られたためしはありません。

国民を出汁にするな!と思います。

国民を守りたいのが本心なら、ロシアや中国とうまくやってください。

防衛費の増額のために北にミサイルを撃たせないでください。



いったい、国は国民をなんだと思っているのかと。

ワクチン接種で、わたしは岸田総理を極悪人のように言うのですが、だれが総理になっても同じだということは分かっています。

今、次期総理として名前が挙がっている河野太郎さんなどもっと酷いことになるでしょう。

接種を義務か強制にするかもしれません。


だれが総理になっても変わらないことが分かっていても、わたしがひそかに期待するのは、その態度、言葉、口ぶりにワクチンが危険だというメッセージを込めることは可能だということです。

接種はあくまで任意であり、情報をよく吟味してからというメッセージを込めることは可能だということです。


岸田総理には、積極的、消極的という以前に、接種を呼びかけるその肩越しからファイザーやモデルナの顔が覗いていました。

河野さんならさしずめビル・ゲイツの顔が二重写しになるのでしょう。



ツイッターに、接種後の異常、体調不良を書き込んで亡くなっていく人がいます。

しかし、そういう人は限られていて、その他多くの人はだれに訴えることもできずに苦しんで死んでいっているのだと思うと、本当に悲しくて胸が苦しくなるほどです。

それでもまだ打たせるのです。

子どもや幼児にまで。

政府は、メンゲレ医師も引くほどのことを平気でしています。

わたしにはヒットラーなど、言われているほどの悪人だとは思えません。

小者とはいえ、ゼレンスキーの悪はそれを凌駕していると思っています。



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# by michi-no-yuri | 2022-11-23 10:18 | Comments(0)

「何気ない暮らし」の尊さ。

忘れられた「何気ない暮らし」の尊さ。

(「Walk in the Spirit」のブログより)


あなたたちは理解していない、

自分自身の家で

ゆったりとくつろいで座り

スナックをつまみながら

自由に思いをめぐらせることが

如何に貴重だということが。



働いている女性がよく言うのが、家にいて退屈ではないかということですが、そういう質問をする人にこのコトバは理解できないでしょう。

あまり実現しないのですが、ベランダで朝日を浴びながらコーヒーを飲み、新聞にさっと目を通したり、読書をするのがわたしにとっての至福のときです。

退屈な時というのは、訪ねてくる人を待っている時間だけだと思います。


わたしはほんとうに音楽を聴かないのですが、そもそもその欲求がありません。

いつかも息子と話していて共感したのが、自然の音だけでいいということでした。

自然の音と言えば生活音や子どもの声もそうですが、世間にはそれを不快に思う人が驚くほどたくさんいて、なかには殺意を催す人もいるようです。

(そういう人はまた、自分とは違う考えを持つ人にも憎しみを向けそうです。)

音楽を聴かない最大の理由は、頭の中はいつも雑念でいっぱいで、音楽が入りこめる隙間がないということだと思います。(これが小説を読めない原因でもあると思います)

マンション住まいのとき、真上の階のボヤ騒ぎで消防車が何台も来ていたのに、それに気が付かなかったほどです。


こないだ、太い毛糸で編まれたカーディガンの肘のところが薄くなっていたのを思い出し、フェルトで肘当てを完成させたときは久しぶりに充足感に満たされたものでした。

普通なら捨てるようなものですが、愛着のあるカーディガンだったのです。


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もう何年もネズミが住み着いていて、ネズミ算でいくととてつもない数になっているはずがそうならないのはなぜなのでしょう。

掛かってくれたら山に捨てに行こうと思ってネズミ捕り器を仕掛けていたのですが、まったくかかる気配はありません。

或るときは、パソコンや電話に繋がる線を見事に嚙み切っていてひと騒動でしたが、そのときにもうこれまでだとネズミ退治は諦めて共生する決断をしました。

きのうは、収穫して台所の隅に置いていた小さなカボチャを、ローソクを立てたくなるような形にきれいに齧っていました。

それからは悪さをしないようにいつも餌を絶やしません。

ネズミはいいのですが、それを狙ってへびが来るのが身の毛がよだつほど嫌でした。

以前、湖東に住む知り合いを訪ねたとき、玄関先に蚊取り線香が焚かれていたのを不審に思ったのですが、訊くとへび除けだということでした。

それを思い出して、三年ほど前から家の外の二か所に蚊取り線香を焚くようになったのですが、それ以来ぴたっと寄り付かなくなりました。

へびで困っている人(そんな人いないでしょうけど)はぜひ試してみてください。



姉は一時イタリアの男性と同棲していたのですが、そのイタリアの男が日本人の(特に女性の)悪口を言うこと言うこと。(白人男性と結婚している人なら嫌というほど知っているでしょうが)

その彼が言ったことの一つが日本の女は何もしないということでした。

イタリアの女性はいつも鍋の底をピカピカに磨いているのだそうです。


わたしはそれには納得するものがありました。

退屈だと思うなら、試しに鍋の底でも磨いてはどうかなと。

鍋の底がピカピカになって喜びを感じない人はいないでしょう。

しかし、ほとんどの女性は「そんなこと」と思うのです。

「そんなこと」のために自分は生きているのではないと。

でも、「そんなこと」以外に何ができるというのでしょう。


「何気ない暮らし」の尊さは、「そんなこと」にあるのではないでしょうか。



小さな庭と、それに続く猫の額ほどの畑でもわたしの手に余ります。

畑に手を入れるのも最初だけで、後は雑草の勢いに追いつけずに早々と諦めて生えるに任せます。

夏の盛りには足の踏み場もないほど雑草に覆われるのですが、有難いことにそれでもナス、トマト、ピーマン、サツマイモ、カボチャは育ちそこそこ収穫できました。

来年はどうしようかな。



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(写真はわが家ではありあません。)







# by michi-no-yuri | 2022-11-22 10:51 | Comments(0)

「ロシアは勝つために変化している」の深い意味。

ウクライナがロシアの捕虜を処刑したことを、あのロイターが伝えたということで大きな変化が起きていることが分かります。

ウクライナ以外でその変化に抵抗しているのがイギリスで、さっそくスナク首相がウクライナに行って83億の支援を約束していました。

わたしは、ジョンソン元首相はウクライナで陣頭指揮に当たっているのではないかとさえ思っています。


ウクライナ政府の人間が、ロシア軍が撤退したヘルソンなどで戦争犯罪の証拠を集めるために住民から聞き取り調査をしていましたが、わたしは戦後戦争犯罪を問われるのはロシアではなくウクライナだろうと思っています。

戦争の只中で、国際機関の人間ならともかく、戦争の一方の当事者がそういう行動をとること自体が異常です。



当初ロシアのミサイルだと言い張っていたゼレンスキーが、その後主張を変えたのはアメリカ特にバイデンの発言によるものだと思いますが、それをウクライナへの裏切りだと思ったのか、アメリカが今後軍事支援を止めるようなことがあれば、ウクライナはロシアとの話し合いに応じるだろうと言って釘を刺していました。

しかし、その恫喝に実効性はありません。

なぜなら、イギリスがしっかりゼレンスキーの首根っこを押さえているからです。



「徽宗皇帝のブログ」も取り上げていましたが、森元首相のゼレンスキー批判が炎上していたようです。

プーチンとは知らぬ仲ではない森さんがは今までの沈黙を破って発言したのは、もうそろそろ言ってもいいころだと判断したからでしょう。

しかし、まだ早すぎたようです。

まだゼレンスキーを正義の味方だと思っているのが世の中の趨勢だからです。


森さんは大嫌いな人ですが、嫌いというだけでその人の評価を変えることはないと自分では思っています。

過日、杖をついていると障害者だと思って大事にしてくれるとの発言も批判されていましたが、わたしは何がいけないのかが分かりませんでした。

これが障害者差別に抵触することでしょうか。

それとも健常者が大事にしてもらうために杖をつくようになっては困るということでしょうか。


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わたしの是々非々の方針の唯一例外になるのが岸田総理です。

ワクチン接種への前のめりな態度が理解できないからです。
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ほかにどんな善政、善行を行ってもそれで差し引かれたり情状酌量になることはないと思うほど、その罪は重いと思っています。



ロシアのヘルソンからの撤退を指してのことでしょうか「ロシアは勝つために変化している」と言った人がいたのですが、わたしには実に魅惑的な言葉でした。

(撤退を二日で成し遂げたことは、今後、長く戦史ののなかで語り継がれることでしょう。)

そのとき、わたしの脳裏を過ったのが、言うまでもなく小沢一郎さんが好きだという映画「山猫」の中の「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」というセリフでした。

わたしは「ロシアは勝つために変化している」を「ロシアはロシアであるために変わらなければならない」と言い換えてみましたが、さらに思考を進めて思い当たったのが、ロシアはその歴史、文化、伝統を保守するために変わらなければならない、というのがこの戦争の目的であり意義なのだということでした。

「乾坤一擲」とはまさにこのためにあるような言葉です。



ウィキで江藤淳の履歴をみて興味をそそられたのが、その言動を「一種の病気」だと断じていた三島由紀夫を、その後評価を変えて「憂国忌」の発起人にまで参画していたことです。

(評価の変化が、西郷を書く動機に繋がったのでしょう。)

何一つ変わらないものはないのが諸行無常の理です。

なのに、変わらない人、変われない人のなんと多いことでしょう。

ある一つの感情やものの見方に囚われ、それに浸かっていることがそんなに心地よいことでしょうか。



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# by michi-no-yuri | 2022-11-21 09:49 | Comments(0)