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谷間の百合

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<   2018年 10月 ( 29 )   > この月の画像一覧

徴用工判決と安田さんバッシングで安倍政権は息を吹き返しました。

徴用工訴訟で、韓国最高裁が日本企業に賠償を命じる判決を出したことで、安倍政権は息を吹き返しました。
安田さんバッシングも政権に追い風になりました。
(安田さんには文句を言いたい人がたくさんいるのですが、総理には文句を言う筋合いはあっても安田さんに文句を言う筋合いはありません。)
さっそくというか待ってましたとばかりに韓国と断交せよとの声が上がっていますが、これでまた確実に拉致問題が遠のきました。
安部総理は内心ほくそ笑んでいることでしょう。
韓国の民間人と韓国の司法の問題なのに、総理や外務大臣が肩を怒らせて強い口調で韓国を非難していましたが、そういう態度は違うでしょう?とわたしは思いました。
ある人は、韓国の司法はポピュリズムに流され易く、世論に迎合する傾向があると言っていましたが、司法が政権と一体である日本を棚に上げてよく言えるもんだと思います。
総理は電撃的な訪中で自分の支持者、ネトウヨに失望以上の感情を与えましたが、これでかれらのウップンを韓国に向けさせられてほっとしていることでしょう。
日韓関係の根幹を揺るがしたと新聞ははしゃぎ、河野外相は駐日大使を呼びつけて抗議をしていましたが、ちょっと筋が違いませんか。
過剰に反応することで、事を大きくしたい安倍政権の思惑が丸見えです。
韓国政府が冷静さを呼びかけたのは、日本のそういう思惑を感じたからでしょう。


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それにしても、河野外相の最近の権力に酔っているとしか思えない言動には不安を覚えずにはいられません。
ポスト安倍も視野に入っているようですが、例えば、安倍総理が日本を腐らせて滅亡させるまでにはタイムラグがあるとしたら、河野外相には一刀両断に日本を破滅させるような怖さがあるのです。

わたしが「徴用工」がいま浮上したのが偶然と思えないのは、また日本政府と日本企業が同じことを繰り返そうとしているからです。
労働者受け入れを小沢代表は奴隷を買って来るような話だと憤然としていましたが、まさしくそういうことです。
徴用工の判決が総理が言うように「あり得ないこと」だとしても、売り言葉に買い言葉のような反応は場違いの感を否めません。
というか、売られてもいない言葉を売られたかのようにして世論を煽っているとしか思えないのです。
そこには日本が加害者だということの後ろめたさがまるで感じられません。
それどころか日本が勝手に居丈高になってはしゃいでいるようでほんとうに浅ましく見苦しい。
労働者受け入れに怒りを覚えるのは、少子化対策を何一つとらずに、困ればそれこそ小沢さんが言うように奴隷を買って来るような感覚で移民を受け入れようとしていることです。
グローバリズムに汚染されて良心を喪失した人間には、何年掛かるか分からない少子化対策の成果など待っていられないのです。
(少子化担当大臣では小渕優子さんだけが、抜本的な政策を打ち出していましたが、「そんな悠長な」ということで無視されたようです。)
大企業とその使用人のような安倍政権ほど反日で売国な人間はいません。
戦争が起きるとすれば、その原因をつくるのは大企業です。


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by michi-no-yuri | 2018-10-31 10:30 | Comments(0)

大企業のお抱え総理だということがよく分かる日中協調。

総理が中國へ行って「中国は長く日本のお手本だった」と言ったことであっさりと「日本会議」やネトウヨはハシゴを外されました。
背に腹は代えられぬということでしょうか。
そこには総理が庇護者と恃む経済界の強い要望があったものと思われますが、総理にとっては対アメリカ、対ロシア外交が行き詰ったこともあって渡りに船だったということかもしれません。
李国強首相は、総理と共に日本の企業関係者が1000人も来たと胸を張りましたが、9月の初旬にも経団連や日商などから200人が訪中していて経済界主導の日中協調体制の下地は整っていたのです。
経団連は親中派がほとんどだそうで、トランプ大統領の保護主義にさっさと見切りをつけて、中国に新天地を求めたいのでしょう。
いうまでもなく経済は最重要課題ですが、それは国民のために重要なのであって、企業のためではありません。
以前、ホリエモンさんが会社は株主のものだと言ったことがあり、わたしはいまだにそれを思い出すと強烈な違和感に苛まれるのですが、労働者と消費者がいなくて企業が存立できるものでしょうか。
その労働力は外国人で賄い、消費は中国に頼るというのが企業の思惑なのかも知れないと思ってわたしは暗然とします。


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きょうの産経一面トップは、「石垣島駐屯地、年度内に着工」ですが、石垣島の外に奄美大島、宮古島にも警備隊とミサイル配備を強化するということです。
「協調」と「防衛」は矛盾しないとしても、これは産経が反中読者のためのサービスとして書いたのではないでしょうか。
ず~っと敵視政策をとってきた中国と、総理は急転直下の和解をして融和政策に舵を切りましたが、もう二度と後戻りしてほしくありません。
折角いままでの総理大臣が積み重ねてきた中国との友好関係を壊したのは安部総理であり、またそこに後戻りすることはもう許されません。
もしかしたら、総理の中國接近は南北朝鮮と中国の間にクサビを打ち込む思惑もあるのかもしれません。
総理は中国にも拉致問題の協力を要請したようですが、まるで世界を回って日本が独立国でないことを吹聴しているみたいです。
恥ずかしいことだということがどうして分からないのでしょう。
中國へ行ったのならその足で北へ行ったらよさそうなものなのに、聞くところによるといつでも会う用意があると言っていた金正恩は総理の言動を見て現在は会うことに消極的になっているという。
総理にとっては願ってもない展開なのかもしれません。
反北、反韓国姿勢はネトウヨのために残しておきたいでしょうから。


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by michi-no-yuri | 2018-10-29 09:56 | Comments(0)

帰還は強制していないとはなんたる言い草か!

きのう、驚ろくようなニュースがありました。
国連人権委員会が被爆線量は1ミリシーベルト以下にすべきであり、それを超える地域への子どもや出産年齢の女性の帰還は見合わせるべきだという勧告を出したことに、日本政府の代表が、帰還は強制していない、不正確な情報に基づいた声明が発表されることで被災地の風評被害が助長されかねないと反論したことです。
帰還は強制していないとはなんという言い草かと、わたしは怒りに燃えました。
こういうのを盗人猛々しいと言うのかと思いましたが、少し違うかもしれません。
強制もしていないが立ち入り禁止にもしていない、つまり放置されているということです。
無法地帯だということです。
しかし、還らないのは住民の我儘のように言った大臣もいたと思いますが、政府は陰に陽に圧力を掛けてきたのではありませんか。
わたしは風評被害という言葉を憎みます。
風評被害という言葉が免罪符のように使われていることを憎みます。
風評被害というのであれば正確な情報をだしてほしい。
しかし、わたしたち素人は正確な数字やデータを出されても判断ができないのです。
それをいいことに、かれらは無知な国民を愚弄するかのように情報操作をするのです。
数字やデータは嘘をつきませんが、人間がうそをつくのです。
どうせ健康被害が出るのは先のことだと思っているのでしょうし、被害が出ても放射能との因果関係は分からないと言うのだろうことは目に見えています。


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日本側が主張する20ミリシーベルトは、国際放射線防護委員会の勧告に基づくものだということですが、なぜ基準にこれほどの開きがあるのでしょう。
基準が何通りもあるのなら、何を信じればいいのでしょうか。
いまニュースで伊方原発3号機が再稼動したと言いました。
この世論を無視だけでなく挑発するかのような姿勢には絶望します。

国や国民のことなどほんとうに1ミリも思っていないのですね。
そういう人間が愛国心を口にするのです。
嘘が本当を、悪が善を、反日が愛国を装っています。
価値観の偽装、倒錯した社会に早く気が付かないと、トンデモナイことになります。

いま総理は中国にいますが、なぜ中国は日本に近づいてきたかという議論はあっても、なぜ総理は中国に接近したのかという議論はありません。
この6年間、敵視政策をとり世界を回って中国包囲網への協力を呼び掛けていたことは何だったのでしょう。
臨時国会では、玉木国民党代表が、総理のケチッて火炎瓶を追及するそうですが、また、総理に自分は脅しに屈しなかったと強弁させるだけです。
それよりも、総理の外交でどんな成果があったのかを追及してほしい。
これほど政治、外交を私物化した人間はいないのです。


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by michi-no-yuri | 2018-10-27 10:25 | Comments(0)

みんなが同じでないと不安だという国民感情が自己責任論を生む。

正直言って無事に帰って来られるとは思えませんでした。
あのような映像をみて、奥さまやご両親がどんな気持ちでいままで耐えてこられたのかと想像すると胸が潰れる思いがしますが、国内には喜ばないどころかいろいろ悪意の批判をする人がいて世界から不審がられています。
恥ずかしいことです。
自分たちが世界に恥を晒しているという自覚もないクズです。
自己責任論への的確な分析をしているツイッターがありました。

ロジ‏ @logicalplz 8 時間8 時間前
その他
なるほど。自己責任論の正体が分かった。
命令によって動けば発生しないが、自らの意志によって動けば発生するもの。
それが連中の言う自己責任だ。 言い換えれば、権力に従う者には発生しないが、そうでない者には発生するもの。
つまるところ、自己責任論は、権力に従わない者への脅迫だ。」


こういう自己責任を言う人間が安倍政権の作る戦時体制の担い手なのですが、しかし、有事になれば真っ先に口をつぐんで逃げるのもこういう人間なのだろうと思います。
危険なところに行かないと何も分からない。
危険を冒して行った人が撮ってきた写真や現地リポートで、わたしたちはわずかに歴史の瞬間や一コマを見たり知ることができる。
安全な場所にいて何が分かるというのですか。
安田さんは暗号で、決して身代金を払うなというメッセージを送っていましたが、わたしなら早くお金を払って助けてほしいと言うかもしれません。
地獄のような環境に3年以上も耐えられたことは称賛に値することではないのですか。


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わたしには勇気も精神力もないからそういう人を尊敬する。
わたしはもちろん偉い人でもないしいい人でもないけど、わたしには偉い人やいい人を賞賛、尊敬するこころがある。
それがわたしの唯一といっていい自慢です。
この自己責任論で、日本人の出る杭は打つというもっとも醜い、忌まわしい国民性がモロに出ました。
植草さんが未だ名誉回復ならず、前川さんが執拗に人格攻撃されているのも、この出る杭は打つという卑しく醜いこころから出ているのです。
正義をすることが、「抜け駆け」ように思って憎むのです。
みんなが同じでないと不安だからです。

最近のドラフト会議で思うのが、指名対象選手がだれ一人自分の好きな球団、行きたい球団を言わなくなったことです。
同調圧力なのだと思いますが、みんな「いい子」になってしまったのだな、ということが如上の自己責任論と重なるのです。
同調圧力によって、若ものが知らず知らずのうちに体制に取り込まれていっているのです。
清原和博さんの18歳の涙が懐かしい。


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by michi-no-yuri | 2018-10-26 10:14 | Comments(0)

総理は外交が戦争だということが理解できない。

新聞がきのうの総理の所信表明演説の全文を載せています。
冒頭、ノーベル賞を受賞した本庶教授の偉業を讃え同じ日本人として大きな誇りだと言っていますが、総理は自分にアンチな人間は無視しますから、本庶教授には権力というか安倍政権とは親和性があったということかもしれません。
まあ、いまさらなんとも思いませんが、空虚で白々しい演説でした。
世界から尊敬される日本、世界中から優秀な人材が集まる日本をつくっていくと言っていますが、現実はまったく逆でもう止まらない流れで優秀な人材は海外へ出て行きます。
技術立国の先端技術はこの2.30年の間になし崩し的に外国へ流出し、いまはあらゆる分野の手に職をもつ人たちがどんどん中國などは出て行っています。
みんな勢いのあるところ、お金のあるところに靡いていくのは自然の摂理です。
出て行く人に代わって入ってくるのが大量の単純労働者です。
受け入れる側では家族で来てほしいということらしいです。
漸く仕事に慣れてきたころに帰ってしまわれたらたまったものではないからです。
政府は少子化対策などまったく考えても来ていないのです。
日本を移民国家にでもするつもりだったのかと勘繰りたくなるほどです。
何が憲法改正だと煮えくり返る思いです。
一部の頭のおかしい人間が望んでいるだけで、国民にとって憲法改正など知ったことではありません。
産経の記者がトンデモナイことを書いています。
記者は、総理が平民宰相原敬の「常に民意の存するところを考案すべし」を引用した後に「長さゆえの慢心はないか、そうした国民の懸念にも向き合って行く」と言ったことが不満だったようで、根拠のない政権批判にまで過度に配慮する必要はないのではないかと書いているのです。
根拠のない政権批判などだれがしたと言うのか。
それに、総理が民意を理解することなど永遠にありませんから。


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先に北朝鮮の核問題を協議していた6ヵ国から日本を外して5ヵ国
協議にしようという動きがあるそうですが、当然すぎる話です。
北朝鮮問題はすべてアメリカに丸投げしてきた日本がどのツラ下げて協議の席につけますか。
金正恩は日本の憲法改正の動きを戦争国家をつくるためだとして、諸外国に「日本反動層の海外膨張策動に警戒を高めるべき」と呼びかけました。
いままで総理がしてきたことがそっくり日本に返ってきました。
今度は金正恩が世界の首脳に日本への制裁を言って回る番になりそうです。
世界は、すでに終わった日本より、これからの北朝鮮をとるでしょう。
山崎拓さんが総理の外交はことごとく失敗だったと言っていますが、失敗とはやることをやった末の結果ですが、総理はほとんどなにもやっていないのです。
「外交とはすべからく戦争である」と言われるのはそれほど真剣勝負で臨むということですが、総理は外交という戦争を理解できずにただほんとうの戦争がしたいだけなのです。


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by michi-no-yuri | 2018-10-25 10:31 | Comments(0)

天皇は共産党や日教組と同じように安倍政権にとって憎しみの対象になりました。

きのう23日「明治維新150年」を祝う式典が永田町の憲政会館で催されました。
しかし、そこに両陛下の姿はありませんでした。
天皇には自分の意思で行く行かないを決めることはできないのでおかしいなと思っていたら、宮内庁が「政府からお声がかからなかった」とコメントしたことで納得しました。
共産党が欠席したのは党の意思だと分かりますが、政府にとって、いまや天皇は憎むべき共産党と同じ穴のムジナになったようで、わたしは思わず笑ってしまいました。
いっそのこと、共産党は天皇を推戴してはどうですか。
攘夷、攘夷と言っていた連中が、その舌の根も乾かない内に鹿鳴館の舞踏会ではタキシードだか燕尾服だかを着て踊っていたのですから、歴史には想定外のことがあるということで、何があっても不思議はないのです。
すでにネトウヨから天皇は左ヨクとの声が上がっていましたが、ネトウヨと安倍官邸は持ちつ持たれつの関係なのでしょう。


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4年前の「主権回復の日」での両陛下を思い出すと、わたしは屈辱感にまみれます。
天皇は事前に、出席することへの拒絶感を周囲に洩らされていたそうです。
政治利用されたくないという考え以上に、そこには戦争への痛烈な反省、二度と戦争をしてはいけないという強い意志と懸念があったのではないかと思いました。
(なんと、そのときの総理は普通のスーツに縞のネクタイという場違いな恰好をしていたのです。)
なぜ式典はその一回で終わったのでしょう。
天皇は「沖縄は当時まだ独立していなかった」とだけ洩らされてそうですが、政府の決めたことを拒否することはできなかったのです。
式の最後に、皇后とふたり真ん中に並んで立っておられた天皇の顔には怒りがにじみ出ていたように思いましたが、あくまでわたし個人の印象です。
「当時沖縄はまだ独立していなかった」との言葉には「いまも独立していない」という反語的な意味も含まれているように感じたのはわたしの思い過ごしでしょうか。
天皇が何度も沖縄を訪問されるのは、生前沖縄を訪れたいという悲願が叶わなかった先帝の思いに応えたいという気持ちが大きいのではないでしょうか。
それに、先帝の沖縄への思いをいちばん知っているのが今の天皇をおいてはいないと思います。
石破さんが「皇室が終わるとき、日本も終わる」と言ったそうですが、どれだけの思いで言ったのかは分かりませんが、わたしもそう思っています。
日本の歴史、文化、伝統から皇室を除外して何が残るでしょうね。
「国破れて天皇あり」はパリサイ人と同じように突然降ってきた言葉ですが、ほんとうにそうだったと、、


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by michi-no-yuri | 2018-10-24 10:12 | Comments(0)

人間こころがなければ疲れることもない。

マラソンで四つん這いになって進んでいた選手を見てとっさに頭を過ったのが古い話ですが、木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたという日露戦後に作られた美談でした。
喇叭手が喇叭をもったまま死んでもそれほど大層なことには思えないのですが、明治政府はそれほど美談を必要としていたということでしょうか。
幸い、批判、疑問の声の方が多いようで、あれが称賛されるとスポーツ選手にかかる同調圧力はハンパではなくなります。
監督の棄権するという意思の伝達が遅れたということですが、どんな体制でマラソン開催に臨んでいるのかと呆れます。
スーパーボランテイアと言われている尾畠さんが、そこでの仕事には何が必要かを考えてそれに必要な道具は全部事前に揃えて用意する、当日になってあれがないこれがないでは仕事にならないと言っていましたが、マラソンの主催者もあらゆるアクシデントに備えるくらいは当たり前のことでしょうに。
審判員に権限はなくてもそういう止めるという判断は可能ではありませんか。
だれも自分で判断しないしできないのは、あとで責任を問われることを怖れるからというより、ただ気が利かないだけなのだと思います。

電車から
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愛媛県の地域アイドルとして人気者だった少女が自殺しました。
酷な言い方になりますが、わたしは何で自殺したの!という無念と怒りを覚えずにはいられませんでした。
後から言えることなのでしょうが、ほんとに何とでもなった問題だったのではありませんか。
それにだれも言わないので、恐る恐る言うのですが、本人は無理でも、親に、アイドルになるということは娘が商品になるということだという認識がまるでななさそうなことにわたしは驚くのです。
相手がお金儲けしか頭にないことくらい分かりそうなものなのに。
むかし、母がピンクレディの歌の中の「わたし、いまが食べごろよ」という歌詞に憤然としていたことがありました。
いまは「食べごろ」というより「売れごろ」です。
いまの若い子は、自分の体がお金になるということをよく知っています。
わたしたちのころには想像もしないことでした。
この言葉以外に適当なことばが思いつきませんのであえて使いますが、こんな「ションベン臭い」年ごろ女の子が男性の眼に止まったり視界に入っているなどとは思ったこともありませんでした。
ところがそうではなかったのですね。
わたしなんか、視界のど真ん中に入っていたかも。(モチロン、冗談です。)
しかし、いちど自分の体がお金になると知ってしまったら、もう二度と何も分からない清純な乙女に戻ることはできません。

案の定、スペインの主要な新聞は総理の訪問を一行も報じていなかったそうです。
逃避行の旅だと周知されているのかも。
それにしても総理はタフですね。
帰国した翌日にはもうゴルフですから。
つまり、こころがなければストレスを感じることもなく、ストレスを感じなければ疲れることもないということだろうと思うしかありません。


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by michi-no-yuri | 2018-10-23 10:38 | Comments(0)

朝ドラ「まんぷく」のオープニングがいい。

水野光彦という方からいただいたコメントに触発されて思いつくままに書きたいと思いますが、思いが溢れて取り留めのない文章になることをあらかじめお断りしておきます。(一回では書ききれませんので、また折に触れ書きたいと思っています。)
たまに朝早く目が覚めたときなどカメラを持って出かけるのですが朝露に濡れた草を踏みしめるときなどには子どもの頃の思い出が強烈に甦ってきます。
また草を刈ったあとの匂いなどは「うわ~っ」となるほど懐かしい。
「新日本紀行」のテーマ曲、わたしは忘れていたというか「小さな旅」のそれとごっちゃになっていました。
あらためて両者を聴きき比べてみて、富田勲作曲の方は、経済成長まっただ中を驀進しているような勢いがありますが。その後を引き継いだ「小さな旅」はそれから訪れるバブル崩壊を暗示しているかのような不思議なもの寂しさを感じさせる曲です。
しかし、そのもの寂しさ、もの哀しさがその土地にしっかり根付いた本来の日本人のつつましい暮らしを思い出させてくれます。
今ほど生活感のない時代もありません。
自然を破壊し、便利さを追いかけてきた結果わたしたちは何を得たでしょう。
もうこれ以上自然を破壊しないでほしい叫びたくなります。
原発は言うに及ばず、いま破竹の勢いで建設されている太陽光発電も自然破壊をしています。
車で通る度に太陽光発電の設置で刻々と風景が変わっていくのを見てわたしは悲鳴を上げています。
これがいいとなると日本人はそっちにわっと殺到します。


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これほどスギ花粉に悩んでいる人が多いのに、まだ毎年1600万本の杉の苗が植えられているそうです。
杉の植林は国策でなされたものですが、驚くことにお上の一声であっという間に日本中の山が杉山(人工の山)になりました。
だから、政府が原発なくそうと一声かければ、そうなるはずなのですがこればっかりはそうなりません。
吉野の歌人前登志夫さんが、むかしの山は明るかったと言っていましたが、わたしたちはそれを想像すらできません。
いま、わたしたちが見ているのはほんとうの自然ではないということです。
わたしは暗い暗い杉山をほとんど憎んでいます。

朝ドラ「まんぷく」のオープニングいいなあと思いながら見ています。
むかしの少女、とくに女学生などには、健康的で明るくて活発でお転婆でお茶目なイメージがあります。
当時の小説や映画に出てくる女学生はほとんどそうではありませんか。
男女平等を言えば言うほど女性からそういう要素がなくなっていったように思えてなりません。
あのころの方が今より精神的にずっと自立していたと思います。
安藤さくらさんは今までの目の大きな美人という定型を破ってくれました。
(あのフレアースカートいいですね。)

(写真が懐かしということですが、住んでいるところは随分離れているのに、やはり日本の風景には変わらない共通の懐かしさがあるということですね。)


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by michi-no-yuri | 2018-10-22 11:00 | Comments(0)

権力を私物化すればいずれ権力から復讐される。

総理とその妻が、ようやく呑気な旅を終えて帰ってきました。
飛行機から降りたってすぐに、新しい政府専用機を見学したしたそうですが、国民に内部は見せてくれないのでしょうか。
国民の税金で作られたのですからお披露目するのが当然だと思いますけど。
昭恵さんがいつも夫に同行するのは、多分自分たちを両陛下になぞらえているからではないでしょうか。
たしかに両陛下はいつも一緒ですからね。
ところで、プーチン大統領の真の離婚理由など知ることはできませんが、一説によると、リュドミラ夫人が人前に出るのを好まず、従って大統領夫人としての務めができないということで自ら身を引いたというのがありました。
写真でみると、明るく平凡なロシアのお母さんといういうイメージでささやかな幸せが好きなんだなということが分かります。
昭恵さんとは対照的な女性です。
しかし、いまの日本人女性はもしかしたら昭恵さんタイプが多いのではないでしょうか。
このごろ聞かなくなりましたが、女性の自己実現とは男性に伍してバリバリ外で働くことだったからです。
リュドミラさんのように、家庭にいてささやかな幸せに満足するような女性は潜在的にはたくさん存在するのかもしれませんが、もう社会がそれを許さなくなりました。


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昭恵さんは総理夫人という地位を最大限享受して権勢を誇り、権力にまで手をだしたのですが、それならそれで一貫すればいいのですが、一度だってオモテに出てきて説明したことはありません。
たまに言えば、メソメソと自己弁護するだけです。
そして、いざとなればゴキブリのように逃げて総理の背後に隠れるのが、わたしがもっとも怒りを覚える点です。
裏では権力をおもちゃのように弄び、これはと目を付けた人物に近づいては自分の陣営に引き込むというマタハリばりの働きをしているのです。
それでダメにされたのが三宅洋平さんです。
山本太郎さんの街頭演説ではカメラが客席?に向けられることはないのですが、たまたま後方から撮った映像を見てわたしは愕然としました。
あまりにも人が少なかったからですが、あれはまだ演説が始まる前の映像だったのでしょうか。
これほど身を削って国民のために働いている人を、なぜ国民は強力にバックアップしないのかとかなしくなりました。
それにつけても思い出すのが、三宅洋平さんの演説を聞くために有楽町駅前を埋め尽くした群衆の熱気と期待感です。
あれだけの人々を引き付けたということで総理が危機感を持つのは当然で、そのとき、そういうことはわたしに任せくださいと昭恵さんが三宅洋平さん攻略を買って出たのではないでしょうか。
げに恐ろしきもの、それが権力。
三宅洋平さんをして総理を「国士」とまで言わせてしまうのですから。
あれだけの群衆が、山本太郎さんの演説に耳をかたむけてくれたらちょっとは政治もいい方に動き出すかもしれないのに、、


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by michi-no-yuri | 2018-10-21 10:37 | Comments(4)

皇后陛下の文章

皇后はきょう満84歳の誕生日を迎えられました。
街着のような着物を召しておられる写真で、正装以外の着物姿を始めて拝見して新鮮な驚きを覚えたのですが、これからは紬などもお召しになるかもしれません。
ところで、きょうは朝から皇后が宮内記者会の質問に答えられた文章を何度か読んでいたのですが、その内なぜか源氏物語でも読んでいるかのような錯覚に捉われていったのですが、これが皇室の文化伝統というものの奥深さ裾野の広さなのでしょうか。
それで思い起こすのは、源氏物語はフィクションであってもかなり忠実に実際の人物を描いているのだろうと思いますが、それで深く感じたのは、登場する各天皇の繊細な感性や悲しみに寄り添うこころでした。
きのうの報ステだったと思いますが、教育係の小泉信三が皇太子にどんな女性を好ましく思うかと問うたところ、自分は特別な環境で育って世間を知らない、人のこころが分からない、だから人の心の分かる女性が好ましいと、大体ですがそのようなことを答えられたということでした。
人のこころを知りたい、そして、できるだけそのこころに寄り添いたいというのが皇室の伝統なのだと思いました。
それは昭和天皇が11歳の皇太子に宛てた手紙からも感じることです。
終戦の決断をしたことについて
「今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど、先生とあまりにちがったことになるのでひかえて居たことを許してくれ。」
と書かれている部分ですが、皇太子の担任の教師と相反することを言っては教師が気の毒でもあるし、皇太子の教育上もよくないという細やかな配慮をしているのです。


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皇后は、人のこころの分かる人という皇太子の希望に添える女性だったばかりか、皇太子への愛に応えるべく厳しい自己研鑽を積んでこられたことは国民も遠くから見てきたことです。
聖心の学長の「経験するだけでは足りない、経験したことに思いをめぐらすように」という言葉を幾度となく自分に言い聞かせてきたということですが、思いをめぐらさなければ、経験は経験になりません。
国の経験が歴史ですが、未曾有な戦争体験も、それについて思いをめぐらさなければ反省もできないということです。
多分、それが日本人にいちばん欠けていることで、内省や反省のできる人はごくわずかだろうと思います。
こんど移られる仙洞御所(赤坂御所)には、母の代理として清掃の奉仕で行ったことがあり、そこで両殿下(現両陛下)にお会いしました。
むかしの小学校の教室のような部屋で待っていると、両殿下が入って来られてねぎらいのお言葉を言われたのですがまったくおぼえていないのです。
ただ、妃殿下が持っておられたハンドバックが流行おくれの古い型だったのがなぜか悲しくて、それがいつまでも悲しみとして残りました。


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by michi-no-yuri | 2018-10-20 18:34 | Comments(0)