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谷間の百合

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十五日 その二 邪な人間が考える改憲。

総理は今夏の参院選を改憲を争点に戦うことを鮮明にしましたが、ここにきて、党内からそれにブレーキをかける意見が出てきました。
この動きは案外大きくなるような予感がします。

高村副総理は「大きな争点として国民が受け止める状況にない」と言い、二階総務会長も「多くの人が穏やかな関係で賛否を言える状況をつくらなければならない」と言っています。
高村さんなど、憲法違反の安保法案をゴリ押しした人の意見とは思えません。
安保法案だってまったく国民が受け止める状況ではありませんでした。
やり過ぎたことに良心が咎めたとは思えず、要するに、周囲から反対の声が澎湃として起きているということではないでしょうか。
自民党員の50数%が改憲に慎重だということですから。
また、「日本会議」の副会長を務める小堀桂一郎さんも、こんな大事業を今年中にやることには無理があると言っておられるのです。

急いてはことを仕損じるということでしょうか。


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憲法改正なんてトンデモナイことです。
改憲論者が何を変えたいか分かっていますよ。
憲法の三大原則の主権在民、基本的人権、平和主義を目の仇にしているのです。
憎んでいるのです。
こないだも、慰安婦は売春婦と言った自民党議員がいました。
まるで、生まれながらの売春婦がいて、人間として一人前に扱う価値もないように思っているようで、ゾッとします。
いつ、男が兵隊にとられ、女が売春しなければならないか分からない世の中ではありませんか。

わたしは中でも基本的人権がもっとも大切だと思っているのですが、改憲でもっとも狙われているのが人権の制限ではないかと不安にかられます。

しかし、なにごとも変わらないものはありません。
万物は流転するのです。
要するにスパンの問題ですが、そのスパンが縮まっているような感がします。
あっという間に風向きが変わることもあります。

しかし、株が下がり続け、フクシマが隠しきれなくなってきたことから、何が起こり、何が起こされるか、しっかり見ていなければと思います。


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by michi-no-yuri | 2016-01-15 15:01 | Comments(0)

十五日 その一  「平和であったならば」

戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

御製が喚起する戦争のさまざまな場面がコマ落としのように頭のなかを巡るなかで、わたしは去年の天皇誕生日での天皇のお言葉を思い出していました。

今年は先の大戦が終結して70年という節目に当たります。この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。
平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。


「平和であったならば、」というくだりをわたしは涙なくして読めません。
再び、「平和であったならば」というお言葉を発せられることがないように、今の平和をなんとしても守らなければならないのです。

夕茜に入りゆく一機若き日の吾がごとく行く旅人やある

この皇后陛下のお歌もわたしは哀しく感じました。
自分、自己を捨てようという重い決断をされるための、最後の自由な旅行だったと思うからです。


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by michi-no-yuri | 2016-01-15 10:32 | Comments(0)

どっちがウソをついているかは明白でしょう?

蓮池透さんが自著に、安倍総理は拉致を利用して総理になった、5人を引き止めたのは総理ではなく自分だと暴露した件が国会で取り上げられました。
予想した通りの総理の反応でした。
普通、人間嘘つき呼ばわりされたら、逆に、努めて冷静になって理性的な対応をしようとするものですが、総理は逆上して、もし自分が嘘を言っているのなら総理のバッジを外すとまで言いました。
総理があそこまで言うのだからと支持者やB層には効果があったかもしれませんが、ほとんどの人は総理の感情的な反応を怪しく思ったのではないでしょうか。
(総理はカスとかクズとか言われても気にならないということですが、嘘つきは気になるのですね。)

また、何の権限もない蓮池さんがどうして引き止められるのだと言う人もいましたが、権限を持つ人間がなに一つ決断できないのが日本の外交です。
あれは、蓮池さんの強い意志もあったでしょうが、その上に、世論が沸き立ったから実現したというのが真実だったと思います。


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蓮池さんは、総理の答弁に対して、総理は議員バッジを外す前にブルーリボンを外せと言われましたが、総理の反撃にたじろぐことなく言うべきことを言える人がもっともっと出てきてほしい。
なんで簡単に圧力に屈してしまうのですか。
総理はマスコミの影響力を恐れるから、懐柔したり圧力をかけるのです。
マスコミは自分たちが権力者から怖れられる存在だということを忘れてはいけなかったのです。
朝日など、バッシングを機に、国民に真実を知らせるという本来の使命に立ち返れば生き残ることができたのに、みすみす権力に拝跪してしまいまいました。

蓮池さんが言われるように、総理はその場しのぎの経済制裁以に何もしていません。
もし、言われるように、総理と北朝鮮がウラで通じているのならなぜ拉致は進展しないのでしょう。
やはり、北のことはすべてアメリカが握っているということですね。

韓国とは慰安婦で合意がなりましたが、北とも歴史問題で話し合いがもたれて然るべきでした。
でも、それはできないことなのですね。
アメリカが許しませんからね。
アメリカにしたら、日本と北が合意したら、いままでしてきたことが何だったのかということになります。
いま、漸く、長きに亘る工作が功を奏して、北を囮に日本を戦争に引きずり込めるところまできたわけですものね。


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by michi-no-yuri | 2016-01-14 11:07 | Comments(0)

毎度の曽野綾子さんですみません。

産経にはいろいろな人がコラムを書いていますが、女性の代表が曽野綾子さんと桜井よし子さんです。
しかし、わたしは桜井さんの文章はほとんど読みません。
文章がヒットラーの演説のように扇情的で居丈高で無味乾燥で硬直しているからです。
その点曽野さんの文章は、頭の硬直、ボケは別にして小説家だから文章が柔らかく面白く、したがってつっこみやすいということです。

先日、三浦瑠麗という、保守派の若きホープとして嘱望されているらしい女性が「正論」に初お目見えしましたが、第二の桜井よし子みたいな文章で、わたしはすぐに読むことを諦めました。

だれかが、三浦瑠麗と古市憲壽は、何か言っているようで何も言っていないと言っていましたが、ほんとうにその通りだと思いました。
それが世渡りの秘訣なのでしょうが、三浦という女性の表情に「抜け目なさ」を感じていたところでしたのでなるほどと納得でした。
こういう人たちだからメディアが重宝するのですね。


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その曽野さんがきょうもトンデモナイことを書いておられます。
よく、自慢話のように、みんなが文革時代の中國をほめそやすなかで、自分はそうではなかったということを言われます。

三大全国紙と大手通信社は、文革以降の中国に関して

「私たち作家の書く内容を、中国に成り代わって検閲した。なぜ彼らが、あれほど中國の言うことなら唯々諾々と従ったのか、今もって理解しがたいが、思想弾圧をしたがる傾向は今でも残っている。」

思想弾圧の傾向は今も残っているとは何を指して言っておられるのでしょうか。
もし、それが総理と官邸を指しているのならこの文脈は正しいのですが、そうではなく、曽野さんはメディアや世論による弾圧を言っておられるのです。
いつも文章の行間から感じるのが「世論」への憎悪なのです。

驚いて笑ってしまうのが最後の部分です。

「中國におべっかを使う波に乗らずに大新聞の卑怯さと戦ったのは、産経新聞社と時事通信社―」

自分が正しかったという自慢を今に持ち続けておられるのは、要するに中国が嫌いだという単純な理由からではありませんか。
(産経新聞など明らかにそうではありませんか。)
そうでなければ、こんな文は書けません。
もう、一つ一つ例をあげて反論するのも虚しい。
これほど現実に盲目な人はもう退場してほしい。

湾岸戦争直前、民主主義のアメリカが他国を侵略することなど考えられないと言った国際政治学者がいましたが、その発言を最後に姿を消しました。
保守の論客に待ち構えている運命です。


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by michi-no-yuri | 2016-01-13 11:43 | Comments(0)

十二日 その二 国家主義者たちの跳梁。

きょうの「正論」の執筆者は、国家主義者で天皇主義者で「日本会議」の副会長をつとめる小堀桂一郎さんです。

国家主権の回復以来数十年に亙って国民の悲願であった自主憲法ということですが、国民の悲願といえばすべての国民を網羅するような誤解を与えるとともに、天皇主義者である人間がなぜ憲法を守ろうと言われる天皇の意を汲めないのかと不可解です。
また、いまの日本の政治状況をみて、なお日本を主権国家と思っておられる現実認識に驚きます。

小堀さんは、憲法改正は煮詰まってきたとはいえ、これほどの難事業を今年中に達成させることには無理があるとした上で、安部総理の任期を大幅に延長すべきだと書いておられます。

多くの国民が気息奄々の状態でいるのに、自分たちの野望しか見えないようです。

安部政権の掲げる政策はすべてアメリカのリクエスト、ニーズだと太郎さんが指摘されましたが、事実、そう考えてはじめて総理のしていることが理解できるのです。
そういう安倍政権のもとでの改憲とはジョウダンにもなりません。
アメリカのニーズにすべて応えながら、一方で戦前回帰を推し進めるという危険な綱渡りのようなことをしているのですが、アメリカ初めかっての連合国から批判が出ないのは、あるいは、綱渡りをさせて途中で落とす計画かもしれません。
イギリスの防衛大臣が急遽来日したのも、戦前回帰に掉さすのが目的だったかもしれません。


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わたしが問題だと思ったのは、小堀さんが、いまいろいろな分野で起きている道徳崩壊を戦後教育のせいだと断じておられることです。
次のように書いておられます。

「本来わが国が世界に誇るべき文明の精華として有していた高度信頼社会が崩壊の萌しを見せている」

「かってのわが国に実現していた人と人との間の真偽が第一という道徳原則についに罅(ヒビ)が入り始めたのではないかと危惧する」


教育に問題があることは今更言うまでもないことですが、、いま起きていることは教育が直接の原因ではありません。
「一に総理、二に総理、三四がなくて五に総理」の責任なのです。
そして、小堀さんのような国家主義者が今教育を持ち出してくることがもっとも危険な兆候なのです。
明治からの富国強兵に資する教育が念頭にあるのは確かだからです。


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by michi-no-yuri | 2016-01-12 14:05 | Comments(0)

十二日 その一  「始末に困る」人。

きのう、山本太郎さんのことを「バカな男」と書いたとき、わたしの頭には次のような西郷隆盛の言葉がありました。

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
この始末に困る人ならでは、艱難をともにして国家の大業は成し得られぬなり。


わたしは、官位はもちろん名もいらない(ゼッタイにいらない)のですが、命は惜しいしお金も少しはほしいと思うような凡庸な人間で、この平成の世にそうではない人間が出現しようとは予想もできませんでした。

わたしは読んでいませんが、山本太郎さんに「母ちゃんごめん普通に生きられなくて」という著書があります。
わたしはこのタイトルを見たときじぃ~んと来るものがあったのですが、お母さんが、親としての心配はひとかたならぬものがあるとしても魂ではうれしく受け止められたのではないかと想像したからです。

安部政権にとって太郎さんは「始末に困る」人であり、そういう始末に困る人でなければ大業は成しえないということです。


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by michi-no-yuri | 2016-01-12 11:04 | Comments(0)

「バカな男」と「恐怖の男」

総理はきのう父晋太郎さんの墓参りをし、憲法改正の決意を新たにしたということでした。
しかし、予算委員会での総理の顔は不健康そのものでした。
改憲への執念で辛うじて身体を保っているのでしょうか。

新聞の、総理の一日の動静を伝える「安倍日録」に、たまに目を通すのですが、晩ごはんは必ず財界やマスコミ界の人間との会食になっています。
母親の洋子さんは、総理の健康を心配しておられるということですが、外食、美食が体によくないという知識がないのでしょうか。
それとも言っても総理が聞かないのでしょうか。

わたしが総理大臣がマスコミの人間や有名タレントと会食するというのを始めて聞いたのは小泉元総理のときでした。
招待に与った政治評論家が自慢そうに話していました。

こんな人間を総理にした責任は小泉元総理にあると言っている人がいたようですが、安倍総理が小泉元総理の手法を踏襲しているだけなのです。


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わたしは、つくづくこんな人間は、日本人としてというより、人間として非常に珍しい存在ではないかと思うことがあります。
よく、ある民族を指して、息をするように嘘をつくということが言われますが、総理がまさにそうです。
しかも、嘘だという認識がありません。
いちばん驚くのが「畏れる」「怖れる」という感覚、感情がないようにみえることです。
わたしは神をも畏れぬ人間が存在することに驚愕するのです。
照子さんが予言された「恐怖の男」が総理だと確信する所以です。

予算委員会での質疑で、総理はよく民主党を引き合いに出します。
悪い根はすべて民主党のせいにしたいのでしょう。
民主党もまともに反論できないのは、同じご主人を持つ、同じ穴のムジナだからでしょうか。

すべての悪の根源が自民党にあると堂々と言えるのは、山本太郎さんだけ?
ネットゲリラさんが、山本太郎さんのようなバカにしかできないと言われるのは、みんなお利口さんばかりで保身しか考えていないということの裏返しなのです。
そういう意味で、たしかに太郎さんはバカで、その他大勢はお利口さんです。
バカは計算(打算)ができません。
そして、そういうバカにしか日本は救えないのです。


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by michi-no-yuri | 2016-01-11 10:21 | Comments(0)

十日 その二  騙されないで。

きのう、カーラジオのニュースを聞いていたら、北の核実験を受けて、急遽イギリスの防衛大臣が来日したと言っていました。
わたしは思わず「ナニしに来た!」と吐き捨てるように呟きましたが、いままで北のことでイギリスが積極的に関与したことがなかったのに、なんで?という強い違和感と怒りが込み上げてきたからです。

きょうの新聞が、ファロン大臣が「日英関係は安全保障の戦略的見解でも共通することが多く、国際的な平和と安定に大きく貢献するものだ」と語ったことを伝えていますが、わたしはご冗談でしょう、おためごかしを言うなと思って腹が立ちました。
ハゲタカの嗅覚で、なにか美味しい匂いをかぎつけて来たのでしょう?

北の核実験で、総理は待ってましたとばかりにオバマ大統領に電話を入れ、この暴挙を許さない、共に戦おうということで一致したということでした。
おかしいではありませんか。
北が核実験すればなんで総理が慌ててオバマ大統領に電話し、中谷防衛大臣は官邸の中を走らなければならないのですか。
まるで、日本が当事者、被害者のような慌てぶりです。
語るに落ちるとはまさにこのことです。
北に核実験をさせ、総理が慌て、大臣が走り、英国の防衛大臣が急に来日する!
つまり、自作自演で危機を盛り上げようとしているのでしょ?

先の大戦での日本包囲網の逆バージョンです。
日本に味方をする振りをして危機を煽り、教唆して戦争をさせようという魂胆だと思います。


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わたしは涙がでました。
これほどバカにされ餌食にされようとしているのに、まだアメリカが日本を守ってくれると思っている人たち。
日本人は精神的凌辱(レイプ)にどこまで鈍感なのでしょう。
率先して日本を滅亡させようとしているのに、まだ総理を支持している人たち。
断言しますが、あなたたちが総理に期待していることは凡て裏切られます。
総理は自分の幼稚な野心のために日本という国を利用しているだけなのですから。

北と総理はツーカーの仲だという見方がありませが、わたしはそうではないと思います。
日本は蚊帳の外だと思います。
属国の総理にはなんの権限もありません。
どこまでもOWN、アメリカの戦略でしょう。
拉致問題でも総理は独自に何もできないのですから。


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by michi-no-yuri | 2016-01-10 11:30 | Comments(6)

十日 その一  御用役者 津川雅彦。

きのうの産経新聞の「極言御免」が、津川雅彦さんのインタビュー記事を載せていました。
津川さんと言えば、言わずと知れた安倍総理の信奉者です。

その津川さんが、総理はアベノミクスや安保関連法の成立などいろいろ画期的なことを成し遂げたことで、名宰相になれる器だと言っておられて、わたしは卒倒しそうになりました。
近くで親しく接していると、人はなにも見えなくなるようです。

暮れに、総理から「来年は文化でいきますからね」というメールがきたそうです。
わたしはピンときました。
いわゆる「日本会議」の骨格をなす皇国史観的文化を指しているのだなと思いました。
その手始めとして、極東裁判の見直しをしようとしているのだなと思いました。
これからますます日本は「美しい国、素晴らしい国」との宣伝が猖獗を極めていくことでしょう。

「平成30年が明治150年、そのときに向かってやろう」と総理が言ったんだそうです。
ということは後2年総理をやるつもりをしているということです。


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津川さんは、外国人に日本の良さを説明できるように、安倍総理と「探美会」という勉強会を開いているそうです。
「日本人の美というのは、大自然の中にある恐ろしさをも美にする。我慢、忍耐、礼節は自然から教わった道徳だ」
と言っておられるのですが、その言やよしです。
我慢、忍耐、礼節のカケラもない人間によって、日本の美や道義がここまで破壊されたというのに、津川さんにはそれがまったく目に入らないようです。
いい気なものですね。
下着泥棒を大臣にしていることはどう説明されますか。

また、「文化や食、言葉などあらゆるものを日本人は吸収し消化する」
と言っておられるのですが、総理が進める政策によって移民が大量に入ってきても、なお同じことが言えますか。
いつも思うのが、移民難民を人道問題にしてはいけないということです。
それを人道問題にしようとしている国連に騙されてはいけないのです。
対立や紛争や戦争を傍観しているのが国連ではありませんか。
つまり、難民移民は計画的に作り出されたものだということです。
わたしは外国人を排斥しているのではありません。
移民を政策にするのがよくないと言いたいのです。

石破地方再生大臣が、もはや移民は避けて通れない問題だと言っておられます。
なぜ、避けて通れないのですか。
何もしていないくせに。
安倍総理や自民党を支持している人は移民に賛成ですか。


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by michi-no-yuri | 2016-01-10 10:01 | Comments(0)

すべての「いのち」が愛おしい。

兄は子どもたちと疎遠になっているのですが、それというのも、子どもたちが自分に苦痛と不快を与える存在だからということでした。
その理由というのが笑ってしまうのですが(笑ってはいけないのですが)本や新聞(産経新聞)を読まないこと、そして、いわゆる「正論」的な思想を知ろうとしないことだというのです。
こんな親を持った子どもこそいい迷惑であり不幸です。

新聞の投書欄には、親孝行な子どものことがよく載っているというのですが、わたしが、ネットには親が子を、子が親を憎んでいるカキコミもあるよと言うと黙っていましたが、お互いに不満がまったくない親子関係などそうあるものではないでしょう。

先日、BSで「東京物語」を見たのですが、老夫婦が子どものことを話し合うシーンがあります。
「まあ、ええほうじゃと思わにゃあバチが当たりますわな」と言って納得するのですが、兄にはこういう達観するという人生の知恵も余裕もないのです。

また、本を読まなくても社会人としてまともに生きていることの価値が兄には分からないのです。
その兄も、信じている人が自分のキャパシティを超えることや違うことを言ったりすると途端に頭が真っ白になって思考停止になるのです。
結局、自分が信じたいように信じているだけなのです。
わたしがいくら人を簡単に信じたり尊敬しない方がいいよと言っても聞く耳を持ち合わせません。

しかし、世の中には兄のような人がゴマンといます。
たとえば、小沢一郎が嫌いということで田中角栄も山本太郎も否定するような人です。
その人たちの間にどのような人間的な関係があるかを想像も出来なくて自分の浅薄な価値判断で否定するのです。


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きょうの「徽宗皇帝のブログ」にそれに関連することが書かれていました。

大人を尊敬するな。特に外見や地位などを理由に尊敬するな。地位の機能は服従を要求するだけであり、尊敬など要求するものではない。服従はしても尊敬などする必要はないのだ。
誰かを尊敬するや否や、我々の頭はその人間に隷属する。もはや何もまともには見えなくなる。まともには考えられなくなる。尊敬とは屈従(盲信)と裏表なのである。両親や教師への尊敬ですら例外ではない。


教師はまったく尊敬の対象ではなくなりましたが、両親を尊敬するという若い人は多い。
わたしは???です。
わたしはゼッタイに嫌ですね。
死んだとき、愚かな母親だったと言ってくれるのが最高のハナムケです。
(心配しなくても、子どもはそう思っていますw)
実際、恥多き間違いだらけの半生でした。
(多分、親を尊敬するという人は親を見ていないのだと思います。観念なのです。)

このごろ、あまり考え方の違いが気にならなくなったのは、年を重ねてきたせいでしょうか。
安倍総理も橋下徹も「いいと思う」と言った友だちも、彼女の方から拒絶しなければわたしはず~っと友だちでいられたのです。

一つはっきり感じているのが、「いのちの愛おしさ」です。
自分のいのちを愛しむように、他者の、そして、すべて生あるものの「いのち」が愛しい。
「いのちへの共感」とでもいうのでしょうか。
強い人間なんかいません。
尊敬に堪え得るような人間もいません。
「いのち」と「いのち」があるだけです。

本来、考えの違いなんか取るに足らないことなのですが、そのとるに足らないことによって日本は戦争ができる国になってしまいました。
だから、とるに足らないことだと悟ったようなことを言うべきではないでしょう。
地位やお金に執着している人に、そんなものはとるに足らないことだと言っても通じません。
しかし、そういう人を高い社会的地位に押し上げたのはだれですか。
簡単に、人を信じたり尊敬したりする国民自身ではありませんか。
(ブログにも書かれていますが、尊敬したり信じたりすることと相手の人格を尊重し敬意を払うことは違います。)


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by michi-no-yuri | 2016-01-08 10:54 | Comments(2)