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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2019年 02月 05日 ( 1 )

木枯し紋次郎が到達した境地。

木枯し紋次郎の中村敦夫さんが出家得度しておられるのは知りませんでしたが、「日刊ゲンダイ」のインタビュー記事を読んで、その「悟り」の一端を知ることができました。
人は「悟り」というものを自分とは縁のない境地だと思っているようですが、それは日常と背中合わせにあるものでそれに気が付くかどうかだとわたしは思っています。
記事から一部抜粋したものを以下に転載します。

「一番嫌いなのは努力。努力するとロクなことはない。朝起きてマラソン始めたら心臓マヒを起こしたりね。目先のことでビクビク、くよくよせずに、時間を長くゆったり生きる。あまり過激な努力をしないことです。みなさん、自分を査定して、高く見積もり過ぎる傾向があると思いますよ。そりゃ、そこそこ成功している人はいるだろうが、そんなに変わらないでしょう。金に汚いかどうかの違いだけです。私は動物の一匹として生まれてしまった。死にゆく運命です。生を受けたことは、そんな幸せな贈り物ではないが、当たってしまったわけだから、ゆっくり楽しめるものは楽しむ。死後の心配する人がいるけど、「あんたどっから来たんだ」ってね。人間の存在なんて暫定的な存在だと思う。いろんなこと分からなくていいんですよ。全部分かってうまくやろうという貧乏根性を捨てること。そうすれば、人生、別のことが見えてくると思います。」


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「あんたどっから来たんだ」というのは「死をみること帰するがごとし」で死は「来たところに帰る」ことだと言っておられるのです。(岡潔はそれを「懐かしいところに帰ること」だと言いました。)
したがって、人間の存在が暫定的というのも死んだら終わりという意味ではなく輪廻転生のことを言っておられるのだと思います。
中村さんの言われる貧乏根性、わたしにはよく分かります。
オリンピックや万博に血道をあげるのも貧乏根性です。
(わたしはそれを田舎者根性だと言ってきました。)
子どもに勉強しろと言うのも貧乏根性です。
どうせ、死ぬまでの人生、どうしてゆっくり楽しもうとしないのでしょうね。
努力なんかしなくていいのです。
わたしも、ブログを書く以上本を読んだり勉強しなくてはいけないかなと思った時期もありましたが、考えてみたらわたしは勉強をしたという記憶がありませんでした。
だから いままで通り見たこと聞いたこと感じたことを書くだけでいいのだと開き直ったところでした。
全部分かってうまくやろうという貧乏根性を捨てれば、別のことが見えてくる、それが「悟り」なのだと中村さんは言いたいのではないでしょうか。
どう生きるべきかなんて考えることは余計なことなのです。
何も考えず、日常するべきことを淡々とするだけでいいのだと。
日本人と言うべきか現代人と言えばいいのか、人は生活をしていないように思います。
生活以外のことで生きているというか、生かされているように思えてなりません。
奴隷として。
生活をしていないのですから「悟り」は遠のくばかりです。


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by michi-no-yuri | 2019-02-05 10:15 | Comments(0)