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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2019年 01月 11日 ( 1 )

言葉足らずでした。

先日の記事が言葉足らずでしたので補足します。
「本を読むことの弊害」ですが、本自体に罪はないのに読む人間によってゲスにも狂気(凶器)にもなるということです。
それほど世の中には読解力に欠ける人間が多いということです。(人のことを言えませんが)
また、本を読むことと人間性や教養は関係ないということが言いたかったことでした。
福田恒存が(以前にも書いたと思う)「教養について」書いていた中に、田舎のバスに乗っていたときのこと、途中から姑と嫁という感じのふたり連れが乗ってきて隣に座ったということですが、姑と思われる女性はエプロンをつけたままだったということですが、その女性が突然窓を開けてもいいかと声を掛けてきたのだそうです。
福田恒存が虚を突かれたように感じたのは相手が田舎の無学の女という先入観のせいなのですが、実はこれが「教養」というものではないかと書いているのです。
西部邁さんは「保守とは妻の看病をすることだ」と言ったそうですが、この二人の知識人の言葉もそこそこ読解力がないと理解できないのではないでしょうか。
余談ですが、西部さんの自死は、奥さまを亡くされたことに原因があるように思います。
江藤淳さんも奥さまに先立たれたことの喪失感、空虚感、孤独感に耐えられずに自殺しましたが、喪失感は恐怖にまでなっていたのだと思います。
お二人に共通しているのが、奥さまが最良の「話し相手」だったということではないかと推測していますが、「話し相手」としての妻の存在は大きかったと思います。


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本を読まない妻を無学(大学出)無知だと愚痴る兄が読んでいるのがゴミのような本なのです。
人間としてみたら明らかに妻が優れています。
百田尚樹はクラシックレコードを2万枚所蔵しているそうです。
高尚な音楽を聴いてもゲスはゲスだという見本です。
そもそもクラシック音楽はなぜ高尚なのでしょうか。
演歌やムード歌謡は人間の劣情を刺激するからというのなら、高尚な音楽は高い精神性と共鳴しなければなりません。
そんなもの爪のアカもないではありませんか。

福田恒存の言っていることは、「教養」とは配慮(こころ配り)ができる人間だということでしょう。
きのう書いたことですが、人権も尊厳も教えられるものではなく本来人間が持っていなければならないものだというのがかれの言う「教養」というものだと思います。
勉強と競争に明け暮れている人間は、その間に「配慮」するというこころを失っていくのかもしれません。
忖度されることに慣れている政治家や、強い立場の検事などに「配慮」を求めることの虚しさ。
暴言検事などヤクザと変わらないではありませんか。
どんな家庭のどんな親に育てられたらそうなるのですか。


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by michi-no-yuri | 2019-01-11 10:35 | Comments(6)