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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2018年 05月 30日 ( 1 )

「モリカケ」も「公文書改ざん」も分かりたくない人々。

きょうの曽野綾子さんのコラム「いい加減な部分にこそ人間味」ですが、曽野さんに一貫しているのが、人間なんていい加減なものという思想で、わたしもそれは同感なのです。
しかし、わたしたちがいい加減でいられるのは、いい加減でないものが厳然としてあるという安心感の上に成り立っているのではないでしょうか。
こう書かれています。
「テレビでは、私が今でもよくわかっていないような話題をやっている。そば屋の話ではない。「モリカケ」問題とか、自衛隊の日報問題である。」

新聞にコラムを持つ人間が言うことでしょうか。
分かっていないのではなく、分かろうとさえしていません。
もの書きでもないわたしでも、モリカケを書くときは大凡のことを把握していないと書けません。
人間のすることだから、手抜きをし、間違いを仕出かし、いい加減に扱う、、、ということですが、それでは困るのです。
なによりも、人間が無意識におかす「過ち、誤り」と改ざんは違います。
改ざんは何らかの意図、目的をもって行うものだからです。


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曽野さんは公文書というものが分かっていません。
公文書が国家であり、歴史だということが分かっていません。
曽野さんの文章が書きかえられたとしてもそれで損害を被るのは曽野さん一人ですが、公文書の改ざんがもたらす有形無形の損害は計り知れません。
仮に、戸籍や土地の登記簿が書き換えられていたときに、人間のすることだからと寛大でいられますか。
わたしたちがいい加減でいられるのは、無意識のうちに公文書への全幅の信頼があるからではありませんか。
もし、その信頼がなければ、生活の基盤が揺らぎます。

曽野さん塚本幼稚園で講演をしています。
そのときは、あの幼稚園の教育方針に賛同していたのでしょうが、
その後の幼稚園と籠池夫婦の運命についてはまったくの無関心なのでしょうか。
もし無関心なら人間ではありません。
もちろん、こころの内は分かりませんが、少しでも籠池さんに対して思うことがあれば、モリカケを「今でもよく分からないような話題」とは書けないでしょう。
籠池夫婦を切り捨てても、曽野さんをして安倍総理に忠義立てさせるものとは何ですか。


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by michi-no-yuri | 2018-05-30 10:56 | Comments(0)