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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2017年 12月 19日 ( 1 )

雪が降る。

過日、「冬が来る前に」といっしょにネットに出てきたのが、尾崎紀世彦さんの「雪が降る」でした。
「悲しくてやりきれない」にも書きましたが、わたしは感情を込めたうたい方より、真っ直ぐにうたい上げるようなうたい方が好きで、まさに尾崎紀世彦さんがそんな感じでした。
ところで、もう慣れましたが、フランスの原題が「トンベ.ラ.ネージュ」だと知ったときの驚きはいまも忘れられません。
「トンベ」と「降る」では方向が反対みたいだし、ネージュは糸を引くような感じでとても雪のイメージではなかったからです。
しかし、いまはフランス人にとってはネージュこそが雪なんだなと思えるようになりました。
それにしても、「ふゆ」「ゆき」「ふる」という日本語のなんと美しいことでしょう。

わたしの好きな万葉のうたに、天武天皇の

わが里に大雪ふれり大原の古(ふ)りにし里に降(ふ)らまくは後


があるのですが、ただ、自分のところに大雪が降った、あなたの古びた里に降るのはこの後だろう というだけのうたがなんでこんなにいいのだろうと自分でも不思議なくらいです。
わたしがつい口元がほころぶのは、天武天皇が雪を見て興奮している様子が眼前に見えるように感じるからです。
その興奮を誰かに伝えたい、自慢したいという気持ち、そして、君のところに降るのは後だよと言っているところに、天武天皇の茶目っ気を感じるからです。
たとえば、恋人か男友だちから、「ボクのところに雪が降ったよ、君のところに降るのはもう少し後でしょう」というようなメールをもらったら、やはりうれしくてこころが温かくなるのではないでしょうか。


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以前にも引用しましたが、高村光太郎の「雪白く積めり」という詩は、戦後すぐの国破れて山河ありのなかで詠まれたものだと知って読むと、雪の清浄さや冷気(靈氣)がいちだんと身に迫ってくるのではないでしょうか。
これから後にくるかもしれない戦後では、もう詩も音楽も生まれてこないような気がします。

「雪白く積めり」

雪白く積めり。
雪林間の路をうづめて平らかなり。
ふめば膝を没して更に深く
その雪うすら日をあびて燐光を発す。
燐光あおくひかりて不知火に似たり。
路を横ぎりて兎の足あと点々とつづき
松林の奥ほのかにけぶる。
十歩にして息をやすめ
二十歩にして雪中に坐す。
風なきに雪蕭々と鳴って梢を渡り
万境人をして詩を吐かしむ。
早池峰はすでに雪際に結晶すれども
わが詩の稜角いまだ成らざるを奈何せん。
わづかに杉の枯葉をひろいて
今夕の炉辺に一椀の雑炊を煖めんとす。
敗れたるものかえって(卻て)心平らかにして
燐光の如きもの霊魂にきらめきて美しきなり。
美しくてついにとらへ難きなり。


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by michi-no-yuri | 2017-12-19 11:10 | Comments(0)