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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2016年 11月 17日 ( 1 )

 「人たらし」で政治をする人間。

総理がトランプさんに会うためにアメリカに発ちました。
スシ友の一人が、総理には「人たらし」なところがあるから大丈夫なようなことを言っていましたが、自分が餌につられてたらしこまれた実感から出た言葉なのかなと思いました。
それにしても「人たらし」とは下品な言葉ですが、わたしが異常なまでに感じる総理への嫌悪感はそういうところにあったのかと思い当たりました。
卑しい人間は人を畏敬するこころを持ちません。
それは天皇陛下に対しても同じです。
口先だけでなんとでもなると思っているのです。
早々にトランプさんに会見を申し出たのも、そういう自信から出ているのだとしたら、あまりにも「舐めた話」です。


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ところで、また曽野綾子さんのことですが、「すべての人はどこかの原住民」というタイトルで、鶴保発言を擁護しています。
どんな詭弁を弄しても安倍政権を擁護する覚悟のようです。
むかし、文化大革命時に、文化人の一人として使節団に加わっていた曽野さんは、他の左翼系の文化人が、中国人の目は澄んでいたとか、北京にはハエ一匹いなかったというようなことを言っていたと揶揄したり批判したりしていましたが、いま、自分が批判した人間と同じだということに気がつきませんか。
そのときは、単に中国が嫌いだったということですし、いまは安倍政権が好きだからという好悪感情を批判精神とは言わないのです。

曽野さんは父親のことを、東京土人とか東京原住民だとかよく書いていたと言っています。(ホント?)
しかし、東京生まれの人を東京土人と言うでしょうか。
また、そう言われて怒る人はいても傷つく人がいるとは思えません。
土人発言への批判、抗議に対して曽野さんはこう言っています。
「これも一種の言論統制で、私は社会には悪い言葉も自由に使える空気を残しておいてほしい、とほんとうにそう思っている。
そうでないと人々は無難なおきれいごとばかり喋るようになり、心は萎縮するからである。」

その言や良しで、わたしも同感です。
だから、曽野さんが小説の中で、沖縄の人を土人と書くのは自由です。
しかし、小説家ならば、そう言われて傷つく人の気持や歴史的背景への想像力が不可欠です。
そうでないと小説とは言えません。

土人発言と同じころ、右翼の青年が車の中から、住民に向かって「風呂に入れ」と繰り返し叫んでいて、わたしは意味が分からなかったのですが、後で、沖縄の人=土人=汚い=お風呂だと分かって愕然としました。
だれにも教えられずに差別意識を持つことはありません。


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by michi-no-yuri | 2016-11-17 11:28 | Comments(0)