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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2012年 07月 10日 ( 1 )

森繁久弥さんの「海ゆかば」

昨晩、なぜか森繁久弥さんの詩の朗読が聴きたくなって、ネットで探していたところ
黒柳徹子さんが森繁さんについて語っておられるのが文字起こしされたブログに出会いました。
森繁さんの詩の朗読について話しておられるのですが、

「このただならないうまさはなんだろう」と。

森繁さんは、終戦時、NHKのアナウンサーとして満州におられたそうで

「そこで、おそらく
すごいものを見たんだろうと
わたしは思っています。」
「森繁さんは、亡くなるまで
一度も話してないです。
戦争のことを。」
「きっと、何かをすべて見て
日本に帰ってきて
俳優になったときに
もう
笑うことでいいんじゃないか
明るくいくことでいいんじゃないか
と思ったのではないでしょうか。」


黒柳さんの洞察力にも感服しますが、実際、その朗読を訊けば、だれでも「ただならぬ」ものを感じることでしょう。

地獄を見た人はそれについて語ることはありません。語ろうにも語れないのです。
アウシュヴィッツの生還者が、外に出たら、ここで体験したことをすべて語りたいと思っていたが、いざ、外へ出たら、到底分かってもらえないという絶望感で何も言えなかったということを読んだことがあります。
そういう意味で、わたしは、原爆の語り部を痛ましく思うのです。彼女らは、決して伝わることはないだろうという絶望感と戦いながら、自分の使命として語り続けておられるのだろうと想像されるからです。

わたしは、戦争をしようとしている人間を憎みます。今まで、一度も反戦主義者であったことはありませんが、いま、わたしは、全身で戦争を憎みます。
ドンパチで済む戦争ならいくらでもやればいいとさえ思います。
しかし、ドンパチは戦争のほんの一部、氷山の一角です。
見えない水面下の巨大な塊の体積の中には、この世の地獄、恐怖、苦痛、かなしみなどがぎっしりと詰まっているのです。

しかし、わたしは、すべての戦争を否定するものではありません。自衛の戦争を嫌だとは言えないのです。日本には、無防備、無抵抗を宣言する都市がありますが、愚かなことです。殺してください、あるいは、捕虜にして好きにしてくださいと言っているに等しいからです。

森繁さんが朗々と高らかにうたわれる「海ゆかば」は、から~んとして、天空を突き抜けていくようで、おそらく、幽界に眠る同胞に届けとの思いでうたわれたのだろうと思います。
(「海ゆかば」は準国歌なのですから、「君が代」に続いて斉唱してほしいとどれだけ願ってきたことでしょう。)

人生とは?という命題に対して、いろんな人がいろんな定義をしていますが、
わたし自身は、やはり「人生とは哀しみに堪えること」だと思っています。
「いのちあるもののかなしさ」です。










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by michi-no-yuri | 2012-07-10 11:31 | Comments(0)