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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

2012年 07月 07日 ( 1 )

旅衣かわかず雪の降りしきる

わたしに、幸子という名前の幸い薄い叔母がいました。
若いころの、嫣然と笑う、艶やかな着物姿の叔母の写真を見ると、夫に先立たれてからの極貧ともいえる後半生の境遇との対比があまりにも鮮烈かつ残酷で辛くなります。

叔母は、なぜかわたしによく手紙をくれました。
末尾に俳句が添えられていたこともありました。
亡くなったあと、従兄から聞いたのは、叔母はきつい野良仕事のほんの合間に、使用済みの封筒や葉書の余白に俳句を書きとめていたということでした。俳人だった祖父と同じことをしていたのです。
そういうものが散逸しないうちに、まとめておくってほしいというわたしの頼みは、なぜか無視されましたが、多分、あんなものに何の価値があるのかと思ったのだろうとわたしは想像しました。

きのうの「つむじ風」ブログを読んで、わたしは、ああ、そういうことなのかと深く思うことがありました。

「表現することによって、生きる証が蘇ってくる。表現はエネルギーの表出であり、生きると言うことの本質でもあるのだ。」
「人生とは、所詮、表現である。情念は、表現を持って放出をする必要がある。これが滞ると、病気になる。気の病みだ。気(情念)が滞る(止む)からだと考えられる。」



叔母は、こころに浮かんだ言葉を、浮かんだだけでは済まなくて、紙に書きとめ、字にすることで、飄平様が言われる、情念の放出をしていたのでしょうか。

だれが見るでもない、見せるでもない、まして、生きた証しとして残そうなどという気持ちは微塵もなくて、ただ、ただ、ひたすら身内に溜まる情念を解き放っていたのでしょうか。

このブログを始めるとき、わたしはさかんに叔母のことを思い出していました。
瓢平様のように、思っていることが抽象化されるまでには至っていませんでしたが、わたしは、叔母と同じことをしようとしているのだと、漠然と考えていました。

下の句は、病が重くなって遠く離れた娘のところに引き取られたあとに詠んだものです。

旅衣かわかず雪の降りしきる

すでに、生死の境界はなくなり、衣が乾き次第それを着て、なつかしいふるさとへ帰ろうと思っていたのでしょうか。降りしきる雪は、いやが上にも情念を駆り立てたことでしょう。わたしには、それが叔母の慟哭のようでもあり、生への止み難い憧憬のようにも感じられました。

随分年月が経ったのに、わたしは叔母の手紙を読み返すことができずにいます。










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by michi-no-yuri | 2012-07-07 12:00 | Comments(0)