日野町事件の再審が決定しました。
ほんとうによかったと思いました。
しかし、まだ再審請求が認められない事件は10件くらいはあるのでしょうか。
主なのが、名張毒ぶどう酒事件、大崎事件、それに狭山事件もそうではなかったでしょうか。
わたしが本当に嬉しいと思ったのは、再審請求への検察の即時抗告の禁止の議論の再燃という記事でした。
でも、そこでおかしいと思ったのは、裁判所が即時抗告を却下すればいいだけの話ではないかということでした。
請求者は、裁判所が検察の抗告を認めてきたことで、そのたびに無念の涙を呑んできたのですから。
どんなに無実を訴えても、新しい証拠を提出しても、無情にもその前で厚い扉を閉めてきたのは裁判所だったのではありませんか。
袴田事件や狭山事件では、警察は明らかに証拠を捏造していました。
警察は、一度犯人と決めたらどんな手を使っても犯人に仕立て上げます。
一人の人間がそれにあがらうことは不可能です。
警察官がひとりの社会人として罪を犯せば逮捕され裁かれます。
しかし、取調室という密室で拷問まがいの取り調べをしたり、証拠を捏造しても罪に問われることはありません。
警察には免責という法律でもあるのでしょうか。
それとも、被害者が訴えれば立件できるのでしょうか。
わたしは、これほど不公平なこともないと思っています。
人は法の下に平等ではないのですか。
警察学校での厳しい指導をドラマ化した「教場」が話題になっています。
わたしは見ていないので何とも言えないのですが、とても公僕という意識を植え付ける教育がなされているようには思えません。
わたしは警察官には、憲法を徹底的に教えてほしいと思っています。
しかし、それを教育できる教官がいそうにありません。
そこで教官になるのは、犯人を捕らえて口を割らせた数が多い人間なのだろうと思うからです。
警察官は公僕です。
個としての尊厳を持つことは必要ですが、警察官としてのプライドは不要に願います。
害でしかありませんから。
よく職質に会う人がいるそうですが、警官になりたての時期は、そういうときに権力の行使をして特権意識を満足させたいのだと思います。
そこから始まり、彼らはどんどん権力を身につけていきます。
仮に、彼らが警察学校で人権や個の尊厳を徹底的に学び身に着けていれば、社会はどんなに良くなっていたかと思わずにはいられません。
そもそも、憲法は、個人の人権が国家権力に侵害されてはいけないためにあります。
警察は明らかのその精神に違反しています。
違反しても権力で押し通します。
高市政権が目論む改憲では、国家が国民を縛るものになるのは必定です。
それを支持する国民も増えてきました。
日本人もアメリカナイズされて力こそ正義の国になったのでしょうか。
たしかに総理は日本を強い国にしようとしています。
しかし、国民はその強さがどういう結果をもたらすかを知ろうとはしません。
知らぬが花でいいのでしょうか。
この世には、権力を行使したい、権力に与りたいという人間の欲望が渦巻いています。
(三度の飯より権力の行使が好きな人間がいます。とくに女性に顕著です)
そういう人間の一人が、いま日本のトップに君臨しています。
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