前の記事で、世界が変わったと書きましたが、その一方で変わらないものがあることを教えてくれたのが、移民局職員が移民摘発に反対する女性に発砲して死なせたことに抗議するデモが起きたことです。
イランやドイツで激しいデモが起きていることです。
変わったのは権力側であり、彼らにとって民主主義は道具であり飾りであったとしても、民衆の側には民主主義が根付いていたのだなと思わせてくれました。
アメリカを一くくりに論じることはきません。
しかし、デモを民主主義の発動だとか正義の発揚だとか思うのは危険です。
外国勢力が介入したデモが多いからです。
デモは一つ一つ性質が違うのだと思って見るしかありません。
今回、事件が起きた市の市長や知事が激しく連邦政府を非難していましたが、もしかしたら彼らは民主党の人間か支持者かも知れないなあと思いました。
すべては疑ってみるしかありません。
ほんとうに真実を見分けるのは容易なことではありません。
日本はと言うと、民主主義は死んだままです。
自民党議員の290人が統一教会から選挙で支援されたことが分かっても、高市総理の名前が報告書に32回も出てくることがわかっても、静かです。
寂として声なしです。
それとも、抗議の声が上がってもどこかで消されてしまうのでしょうか。
また、韓鶴子に報告を上げた当時の梶栗会長は、総裁を喜ばすためか、あるいは自分の手柄を大きく見せようと思って数字を盛ったとも考えられなくはありません。
(死人に口なしになりますが、例えばという話なので許してほしい)
すべて、わたしはそういう見方をします。
滅多なことで信じてはいけないという例を散々見てきたからです。
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