東国原さんは現職に2万3千数票差で敗れました。
後出しになりますが、わたしは敗北を予想していました。
宮崎の人を甘く見ていたのだと思います。
テレビに出ては政治的な発言をし、バラエティにも出ているので宮崎の人のこころを繋ぎ止めていると思っていたのでしょう。
しかし、もうテレビに出ているだけで有利になるという時代ではなくなっているのだと思います。
一期で県政を投げ出して東京に行った人間です。
それ以上の仕事があったのならともかく、ただぶらぶらして機会を窺っていました。
「機会」とは、竹中平蔵が構想する日本になって、そこで枢要な地位に就くということです。
それを橋下徹とともに待っていました。
ところが、安倍さんの死でその機会は永遠に失われました。
そこで、急に思い出したのが、「自分には宮崎がある」ということです。
あれだけ熱く支持してくれた宮崎の人は、また自分を受け入れてくれるだろうと簡単に考えたのでしょう。
そうは問屋が卸しませんでした。
また、テレビに出るのでしょうか。
そして、また子どもにもワクチンをと言うのでしょうか。
ワクチンでは山中伸弥さんもやり玉に挙がっています。
この人、わたしは早い段階から「へんな(怪しい)おじさん」だと思っていました。
ips細胞の実用化を急いでほしいのに、元号を考える会の有識者になったり大阪万博推進に名を連ねたりしていて権力に弱い人だということが分かります。
目はこころの窓と言います。(とくに「知性」は目に出ます。)
あの目つきは異様です。
同じ残念な人に青学の原晋監督がいます。
これほど人間が変わった人も珍しいと思ったのですが、もともとの自分(本質)が変わるということはないので、もともとそういう人だったということでしょうか。
ワクチンのコマーシャルだけでなく、別のコマーシャルに出ているのもチラッと見ましたが、自分を見失っているようでした。
テレビに出る、有名になる、お金が入るということでこんなにも人間って変わるものなんだなあと、、、
選手にはワクチン接種は自由なのだそうです。
自信がないのでしょうか。
世間的には「感じのいい人」から「感じの悪い人」への激変です。
やくざのようでした。
なんとなく哀れを催します。
青学はもう諦めてください。
奇跡でも起きない限り優勝は望めないでしょうから。
監督は「鬼平犯科帳」にでも出てきそうなキャラです。
小説を読めないと言っていたわたしですが「鬼平犯科帳」全24巻は読みました。
先日、虐待で逮捕された保育士をそれほど特別な人間だろうかと疑問を呈したのは、もしかしたら長谷川平蔵の影響かも知れません。
「ネットゲリラ」さんもよく引用する「人間はいいこともすれば悪いこともする生きものだ」という人間観です。
人のこころには鬼も仏も住んでいるということです。
だれでも自分の胸に手を当てれば分かることではないでしょうか。
だから、性悪説、性善説がバカらしいのです。