香川県の高松から熊本の被災地に派遣されていた職員が感染しました。
職員は無症状だということですが、感染ルートの予想はできても特定はできません。
つまり、無症状性キャリアがどこにでもいると認識すべきということかもしれません。
コロナについては何も分かりません。
だれの言うことを信じていいのかも分かりません。
ただの風邪だと言う人もいれば、第二波どころかまだ第一波のとば口だと言う人もいます。
わたしができることは、楽観しないということだけです。
しかし、悲観もしません。
変な言い方ですが、見えないウイルスから決して目を離すまいという気持ちがあるだけです。
それに、ただの風邪かもしれませんが、わたしにはそのただの風邪さえ辛くてきつい。
だから、少しでも気配を感じたら、急いでハチミツ入りの熱い白湯を飲んで寝ることにしていて、おかげでこの15年くらいこじらせたことがありません。
ほんとうに何も分かりません。
重症だった人の証言は聞きましたが、軽症の人の軽症の程度が分かりません。
21歳の男性が、陰性になって退院したのに熱や倦怠感に悩まされ歩行も苦しいと言っていました。
ダメージを受けた肺はもう元に戻らないのでしょうか。
息がしにくいのは苦しいことです。
退院した人の追跡調査をしてほしい。
軽症だった人が一瞬で重症化すると聞きました。
死者が減ったのは医療従事者の必死で献身的な治療によるものだとも言われています。
梨田監督が生存率1%から生還できたのもそういうことなのでしょう。
中國がコロナを封じ込めたのは民主主義国でないからだという議論があります。
確かに中国は民主主義国ではありませんが、どんな国であろうと疫病か民主主義かという二者択一はありません。
先ず伝染を食い止めることがすべてに優先されるんべきだからです。
こんなときに民主主義を持ち出すのは、ためにするかバカしかいません。
しかし、人権はどこまでいっても人権です。
疫病と戦うのも人権です。
人権と国家権力が同一線上に存在するのはこういう場合だけです。
人は生存を賭け、国家は国の存亡を賭けて、、
それにしても分からないことだらけです。
国や都の言うことなど一ミリも信じません。
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