わたしが書いた元福島県知事の佐藤栄佐久さんのことについてコメントをいただきましたが、読者の中に福島県出身の方がおられたのは幸いでした。
わたしはほとんど何も知らずにネットで拾い読みした情報をもとに書いたもので、教訓として安易に人物評価をすべきではないことを学びました。
人間の評価ほど難しいものはありません。
正義のヒーローのようにもてはやされた人に、後からいろいろ良からぬ噂が出てきたり、その逆もあったりするのが世の常です。
事件がニュースになっていたころは面倒くさい事件だなという印象しかなく、その後、原発反対だから嵌められたのだろうという情報が出てきたときはなるほどそういうことだったのかと思いました。
その後ウィキペディアで知ったのが、市町村合併に反対で地方主権を掲げていたこと、小泉政権の郵政民営化やプルサーマル計画に反対していたこと、道州制にも反対していたことを知り、わたしの考えと全く同じだというのが強く印象に刻まれました。
自民党に所属しながらなぜ?と思いました。
最初は原発に賛成で途中から安全神話に疑問を持って反対に回ったというのも、それが純粋な気付きによる反対ならなかなかできることではないと思いました。
或いは、個人的な感情や利権(お金)が絡んでいたのかもと考えましたが、人の感情など知りようがありません。
なぜ途中から反対に回ったのでしょうか。
わたしは、市町村合併に反対だけでもスバラシイことだと思いました。
タモリさんが、地名はその土地の記憶だと言いましたが、わたしもず~っとそう思ってきました。
地名が無くなることは記憶即ち歴史が消えることで、大袈裟ですが、地名が無くなるのは身を削られるような気持がしたものです。
風間さんが仰っていること、引用文に書かれていることはその通りなのだろうと思います。
それについて疑義は持ちません。
しかし、わたしには知り得ないことでしたが、その事実は事実であっても、それをもって全体とは思いません。
見る角度が少し違えば別の佐藤栄佐久の姿があるかもしれません。
毀誉褒貶相半ばすると言いますが、ほんとうに人物評価は難しいものだと思います。
例えば、総理にも探せば良いとこともあるのでしょうが、あったところで見ようともしないでしょう。
敵対している人間、嫌いな人間の良いところなど見たくもないのが人間です。
また「棺を蓋して事定まる」という言葉がありますが、わたしは人間なんて死んでも分かるものではないと思っています。
歴史の風雪にさらされてもまだ評価の定まらない人がたくさんいます。
こんなことを長々と書くのは風間さんには歯がゆく不快なことかもしれませんが、何も知らないものが言っていると思ってお許しください。
実際、政策でしか判断できないのです。
一般論、抽象論だと思ってください。
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