両陛下は年末に宮城、福島の被災地を見舞われました。
そのとき、わたしは遠いところから順に見舞われるのだろうか、それとも総理が視察に行かなかったところは遠慮されるのだろうかと思ったのですが、その後宮内省から何の発表もありませんからどうやら後者のようです。
総理が行かなかったところはやはり遠慮されるのです。
そのせいで千葉県は、知事がああいう人だし、行政の人間も来ない、総理も来ない、そして両陛下も遠慮されるということで気の毒としかいいようがありません。
総理が行かないのは、内閣改造をしている場合かと批判している被災地の人をテレビで見たからではないかと思いました。
小泉さんもそうでしたが、総理はそういう子どものような仕返しをする人間なのです。
先の天皇は、自ら象徴とはどうあるべきかを模索してきたと言われ、政治的発言にならないように心をくだいてこられました。
だから、天皇の憲法についての発言は衝撃でした。
それほど安倍政権の憲法改憲に危機感を持っておられたのかと、そのことへの衝撃だったと言ってもいいかもしれません。
現憲法は日本人の手に成るものだと言われました。(それを知日家の米人が協力したと)
総理の押し付けられた憲法だからという改憲の基本の根拠を否定されたのです。
驚くべき発言で、当時総理の支持者の間でも衝撃と動揺が走ったということでした。
しかし総理も周辺も聞こえないふりでやり過ごしました。
同時期に皇后も五日市憲法に言及されました。
「地域の小学校の教員、地主や農民が寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案ー」
ここで皇后は地主と農民、教員を同列において、日本にはもともと身分制や階級制とは別の国柄があることを示唆されました。
「日本各地の少なくとも40数ヵ所で作られたと聞きましたが、近代日本の黎明期を生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。
長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」
わたしはここを読むたびに涙が溢れます。
皇后がどういう気持ちで書かれたかを想像するからです。
邪悪な政権によって憲法が改正されようとしていても国民のほとんどは無関心で、どこからも政治参加や草案作りへの熱い願いや気運は生まれてきません。
どうでもいい世界遺産には一喜一憂して騒ぐのですが、世界遺産に指定されることのなにがそんなに嬉しいのでしょう。
日本はこれから遺産と観光客で食べていくのですか。
これのどこに「日本すばらしい」と言えるものがあるでしょう。
無残でなりません。
それとも、いまが明るい未来の前の黎明期なのでしょうか。
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