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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

権威は空気のようなもの。

ローマ法王は、どこに行っても熱狂的な歓迎を受けてまるで世界に君臨しているような錯覚を持ちますが、法王はあくまでキリスト教カトリックの最高位の人間でしかありません。
だからわたしにはあまり関心がありません。
総理は法王にも拉致解決の協力を要請したということですが、相も変らぬ国民向けのエクスキューズで「見ていますか、わたしはこうして会う人合う人に協力をお願いしているのですよ」というところを見せたいだけです。
しているのはそれだけです。
北の独裁者が法王の要請を受け入れることはないでしょう。
法王は核廃絶を強く訴えましたが、バチカンにとっては、国際社会に先駆けてナチス政権を承認したという拭い難い歴史の汚点があります。
ユダヤ人迫害も黙認しました。
戦後はナチスの逃亡犯の手助けまでしました。
「反共」ということで利害が一致したのです。
昭和天皇の共産主義への警戒心、恐怖心にも強いものがありましたが、天皇は同じようにナチスも警戒し嫌悪しました。
わたしはローマ法王を過大評価しません。
政治の渦に巻き込まれたらだれしも無傷ではいられないからです。
きれいごとでは生きていけないからです。


権威は空気のようなもの。_c0243877_9484677.jpg


ホテルニューオオタニの総支配人が、総理は天皇の次に偉い人だと言ったそうですが、わたしはこういう考えには、誇張ですが身の毛がよだつのです。
籠池さんだって総理を人格者、偉人だと言っていました。
なんでこんなに簡単に人を信じてしまうのでしょうか。
総支配人の考えは、階級史観や身分制から発しているもので、立場は違っても天皇否定の人間と根は同じです。
天皇の次が総理で、その次が三権の長で、その次が上級国民で、、、わたしたち国民は最後のカスみたいなものですか。
ホテルの人間がこういう考えだとこちらの見る目も変わります。
人間に等級をつけられているようで嫌な気分です
わたしが繰り返し繰り返し言ってきたのは、天皇と自分の間には何者も介在しないということでした。
わたしは自分を一応常識のある大人だと自任していますから、いくら蛇蝎のごとく嫌いな総理であっても、会えば一国の総理として敬意を表しますし、手を差し出されたら握手もするでしょう。(帰ってからタワシで血が出るまでこする)
それは「礼」であって、忖度でも恭順でもありません。
わたしは、こういう「礼」は、社会の基本だと思っています。
むかし、検事を目指して新聞配達をしていた青年と玄関先で立ち話をしたことがあるのですが、若いかれはわたしのような考えは世間には受け入れないと言いました。
多分、わたしの話から権威や地位への尊重がないことを感じたのだと思います。
検事になっていたとすると、上級国民のために働いているのが目に見えるようです。

(きのう、男は顔ではないと言いましたが、それは持って生まれた造作の顔のことです。男に限らず、顔がすべてです。知性も教養も意思もすべて顔に表れます。
それの表れない顔は、どんなに造作がよくても一文の値打ちもありません。)


権威は空気のようなもの。_c0243877_9492363.jpg










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by michi-no-yuri | 2019-11-26 09:52 | Comments(0)
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