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谷間の百合

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岩下俊三さんの休止宣言について。

わたしが岩下俊三さんのブログをあまり読まないのは、直情径行なわたしにとって岩下さんの韜晦調と言っていいのかそんな文章が読み辛かったからです。
わたしはバカみたいに直球しか投げられない人間です。
その岩下さんが、ブログの休止宣言をしました。
ジャーナリストではないとか工作員だとかどこからお金が出ているのかといった類の誹謗中傷があったようですが、それはきっかけであって、それだけではないものが岩下さんの胸に鬱積していたのだろうと推測します。
岩下さんのブログのどこをどう読めば工作員になるのか不思議ですが、もしかしたら個人的なくだらない恨みでもあるのではとか思ってしまいます。
休止宣言にこう書かれています。
「ネットでの市民権を得るにはけっして検証や取材などして事実にもとづいたことをいってはならないからです。個人の揣摩臆測を拡大して多くの共感を得ることこそがネット世界の「おきて」であることを痛感したからです。」
また、別のところには「裁判になっても勝てるような証拠がないかぎりー」とも書かれています。
ジャーナリストとしては当然そうであるべきと思うものの、わたしは何を指して証拠というのかが分かりません。
証拠というものに信が置けないのです。
それを入手した人に読解力や想像力がなければ証拠が生かされることはありません。
文句のつけどころのない証拠だと思われても裁判で決着がつかないことがよくあります。
モリカケでは、証拠や状況証拠がたくさんあっても逃げられてしまいました。
追及も途中でうやむやになってしまいました。
犯罪に時効があるように、悪事の追及にも時間切れがあるのか、これほど国民に失望と絶望を与えた事件もありません。(決して終わったわけではありませんが)


岩下俊三さんの休止宣言について。_c0243877_1044841.jpg


岩下さんはネットを揣摩臆測想像の世界だと言いますが、そういう世界はあくまで一面です。
もし、政権にたいしてそれはおかしいと言う人がいなくなればこの世は真っ暗闇です。
証拠がなければ言えないというものではありません。
取材や検証ができない環境にいる人間でも、おかしいと思うことは言うべきです。
それを言うのにジャーナリストと一般人の別はありません。
ついでに言えば、ジャーナリストとして証拠を握っていたとしても当人の知的レベルや思想傾向によって、その情報は有害になりかねません。
わたしも陰謀論や、ちょっと調べれば分かることもあえてそうせずにデマを信じそれを拡散している人間にはだれよりも強い怒りを持っています。
そういう人が良くないのは、それを信じる動機に偏見や憎悪があることです。
なぜ、「ほんとうだろうか」という疑問を持たないのでしょうか。
疑問に向き合うのは勇気のいることですが、わたしはそれによって陰謀論や右の思想から抜け出すことができました。
岩下さんも言っていますが、わたしも10~15年前にはたくさんの陰謀論を知っていましたが、今はほとんど忘れています。
特異な世界です。
しかし、そういう世界が居心地のいい人には何を言っても通じません。
自由とも自立とも縁がない人たちです。
ほんとうの陰謀を隠すために、そういう陰謀論が存在しているとは思いませんか。


岩下俊三さんの休止宣言について。_c0243877_10451911.jpg










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by michi-no-yuri | 2019-09-10 10:48 | Comments(0)
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