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谷間の百合

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小津監督の「早春」を見て思ったこと。

ポンぺオ国務長官がイランの責任と言ったのをトランプ大統領はイランがやったと断定的に言いました。
タンカー事故のわずか数時間後に、アメリカはイランに責任があるとしてその証拠の写真まで公表しました。
わたしなどが見てもわからない映像ですが、すぐにこういうのを出してくるから怪しまれるということをアメリカはまったく学習しません。
つまりどうでもいいのです。
きっかけさえ作れば、あとは力で押し通すというのがアメリカの流儀です。
あくまで個人の印象ですが、わたしはポンぺオ長官は嘘をついていると思いました。
そういう顔に見えました。
日本の総理がイランを訪問しているときに日本のタンカーを攻撃するのは日本(安倍総理)への侮辱だと長官が言ったのは、日ごろ日本の総理を軽蔑し侮蔑しているからこういうときにその本心が出るのだろうとわたしは思いました。
トランプ大統領が、本気で総理に仲介を頼むことなど考えられません。
わたしは総理の方から買ってでたのかとも思いましたが、そういうことでもなさそうです。
この問題は拡大されることなく一秒でも早く収束させてほしい。
石油の輸送路を絶たれるとかっての石油ショックのレベルでは済まないかもしれません。
総理はそれを望んでる?
アベノミクスの失敗や外交の行き詰まりをそれでチャラにできるから?
総理ならやりかねません。
わたしは従米はもちろんのことですが、ここで反転攻勢に転じて反米になられるのがもっとも怖いことだと思っています。
アメリカの意図がその辺にあるとしたら大変なことです。


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きのう、BSで小津監督の「早春」を見ました。
昭和31年の作品で、映画の中に「戦争」は出てくるものの街にはバーや飲み屋が立ち並んで活気に満ちていました。
人は生きるためには前しか見ないということなのか、わたしは戦争で死んでいった人のことを思わずにいられませんでした。
時代が変わるとはなんと残酷なことかと思いました。
意外だったのが、妻の妊娠を知って悩むサラリーマンのエピソードでした。
かれらは、勤めている会社の窓から東京駅が目の前に見えるということですから超一流の会社ではないのですか。
そこに勤めるサラリーマンが子供一人育てられないはずはありません。
わたしはいまでは子だくさんの部類に入るのですが、そんなことを思ったことはありませんでした。
やはり、サラリーマンと商売人や自由業の家庭で育った人間の違いを痛感します。
教育費のことなど頭の隅にもありませんでした。
漠然と何とかなると思っていたのでしょう。
事実何とかなってきたのですが。
サラリーマンの、子どもは少なく生んで立派に育てるという考えが、戦後の学歴社会の基礎を作ったとは言えないでしょうか。
結果的に、それが60万人ともいわれる「ひきこもり」を生み、立派に育ったはずの上級国民によって日本のモラルは崩壊寸前まで来てしまったということではありませんか。


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by michi-no-yuri | 2019-06-15 10:16 | Comments(3)
Commented by y-ohkubo at 2019-06-16 10:47
こんにちは、
アホ首相のイラン訪問は、僕的には評価どころか、批判するにも満たないような気がします。
で、

>サラリーマンの、子どもは少なく生んで立派に育てるという考えが、戦後の学歴社会の基礎を作ったとは言えないでしょうか。

それをいうなら、核家族化だと僕は思います。それまでの日本は、多世代の大家族が主でしたが、昭和30年代以降、核家族化が行われてきました。それは、日本が工業国になるため。人を都市部に集めようという政策と、そうして世帯数が増えれば、NHKの受信料も新聞の発行部数も増えるだろうというマスメディアの思惑が合い重なってのこと。でも、それが、それまで家族の中で行われていた介護や育児が、外部の公的なところがしなくはならなくなり、それか゜今日の待機児童や介護施設不足の問題に至るのだと思います。また、核家族化が進まなければ、これほどの「ひきこもり」も生まれなかったような気がします。つまりは、戦後、昭和の時代から、将来の日本を予想できる政治家はいなかったし、その愚かな政治家の子や孫が、今の政界にいる。それこそが、日本の元凶のような気がします。
Commented by michi-no-yuri at 2019-06-17 10:41
y-ohkuboさま
コメントありがとうございます。
核家族化というのは戦後にいわれるようになった言葉だと思いますが、むかしも長男以外は家を出て家庭をもつわけですから核家族は当たり前のことだったと思います。
いまは長男も同居しないのですが、それも時代の趨勢で、まして財産分与も平等ということですからそうなるのは仕方がないことでしょう。
あの映画もそうですが、戦後の30年くらいまでは、男が同僚や部下を家に呼ぶことが普通にあったことですが、そういうこともまったくなくなりました。
思い出しても、むかしはほんとうによくお客さんが家に来ていました。
いまお客さんを呼ぶのは裕福な家だけかもしれません。
あの映画では、飲んだ後戦友が家まで付いてきて、来れば泊っていけということになり主婦は大変だったろうなと思います。
でも、やはり、家に人が来るというのはいいものです。
とくに気の置けない人との会話は楽しいものです。
(これが失われたことがほんとうに寂しい)
いまは人と人のつながりが断たれた状態です。
みんなが孤立状態に置かれているようです。
それも人為的に、、、
Commented by y-ohkubo at 2019-06-17 11:35
こんにちは、

>むかしも長男以外は家を出て家庭をもつわけですから核家族は当たり前のことだったと思います。

確かに、長男以外は家を出て家庭をもちましたが、他の家に嫁入り・婿入りする以外の人は「分家」と言って、つながりを温存させていました。それは、今でも残っていますが、基本的に核家族とは、異質のものだと思います。
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