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谷間の百合

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「血」そのものに高貴も下賤もない。

きのう産経は示し合わせたように二人の論客、百地章と八幡和郎の「旧宮家の男系男子による継承」という記事を載せました。
にわかに盛り上がってきたかに見える女性、女系天皇容認、賛成の意見に危機感を覚えたようです。
わたしがかれらの意見には絶対反対なのは、旧宮家の人間こそ皇室を貶めてきた元凶ではないかと思うからです。
天皇への違和感や拒絶感の理由の多くを占めるのは、当人が意識しなくても旧宮家に起因する部分が大きいのではないかとも思います。
しかし、それはわたしが反対することの本質ではありません。
「水瓶座時代」ブログの「血のつながりより強いもの」に書かれていることにわたしは同感です。
ここでブログ主が何度も強調しているのが「血は物質」ということですが、わたしは以前からそれを「血は抽象」と言ってきました。
血そのものに高貴な血、下賤な血はありません。
サラサラの血、ドロドロの血はあってもそれはその人の健康状態を表すものであってそれ以上のものでも以外のものでもありません。
皇室が尊ばれるのは血ではありません。
ブログ主はこう言っています。

「文化として、また日本人のアイデンティティとして私たちが皇室を敬い、愛することは極めて自然なことだと思いますし、そうした長い伝統を持つことは貴重であり、とても意味深いものではあります。

しかし、それは血とは違うのではないかと。実際に皇室には民間の血が入っており、基本的には私たちと同じです。血を敬うのではなく、皇室の存在、そのありようや皇室としての働きに対する尊敬が日本国民にあると私は感じるのです。」



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わたしは以前、天皇その人より、天皇を敬い慕う人々にいつも共感し寄り添ってきたと書いたことがあります。
人々のそういうこころを美しいと思ってきました。
戦後の地方巡幸の動画を見たときそれを強く感じました。
わたしは、天皇を迎え歓喜し涙を流す人々の間にいて一緒に慟哭しているような気持でした。
国民のこころが離れては天皇は存在しません。
血がどうのこうのではなく、国民のこころが離れないことに意義や尊さがあるのだと思いました。
天皇制廃止論者には国民のこころがなぜ離れないか、国民は何を求めているのかをぜひ研究してみてください。
上皇は象徴としてのありよう、どうあるべきかを長く模索してこられました。
「在り様(ありよう)」という言葉を聞かなくなりましたが、責任や当事者意識が希薄というより絶滅した日本ではとうに死語になっていたのでしょう。

ところで話は変わりますが、最近の気持ち悪いほど雅子皇后を持ち上げる一方で紀子妃を叩くのはどういうことなのでしょう。
このブログにもそういうコメントがありましたが、なんとなく組織的なものを感じます。
邪なことは止めてほしい。


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by michi-no-yuri | 2019-06-12 10:31 | Comments(0)
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