池袋の事故で一瞬にして妻子を奪われた夫の記者会見はほんとうに辛いものがありました。
妻子の写真を公開するのは苦渋の決断だったという発言からも、夫の慎重で控えめな人柄を垣間見ることができます。
夫が最初に言ったのは、現場に花を手向けてくれた人々へのお礼でした。
続けて夫は「絶望しています」と言ったのですが、人は真に絶望するとこんなにも絶望という言葉を淡淡と発するものなのか、真の絶望は言葉からあらゆる感情を削ぎ落してしまうものなのかと思って胸を締め付けられました。
加害者に対しても罪を償うべきだと言いましたが、そこにも怒りの感情は窺えませんでした。
わたしは、怒りのあるうちはまだ絶望ではないことを知りました。
わたしは、会見で夫が、妻と娘に助けられ育てられてきたと言ったのを確かに聞いたと思ったのですが、その後の情報からその言葉を見つけることができませんでした。
日本にはまだこんな家族、こんな人がいたことにわたしは驚きました。
社会に対していいことをした人を「地の塩」と言うそうですが、わたしはこういう人も国のたからであり地の塩かもしれないと思いましたが、神はそれを知らせるためにこの家族にかくも惨い運命を担わせたのでしょうか。
ピエール瀧さんは知っていますが、「電気グルーブ」や石野卓球さんのことは初めて知りました。
その石野さんが、逮捕以来初めてピエールさんに会い、二人肩を組んで笑っている画像を公開しました。
わたしは、いいはなしだな、こうででなくてはと思いました。
嫌なことばかりの社会に一条の陽が差したように思いました。
テレビでは、石野さんにも謝罪をせよと言う意見が大勢のようですが、なぜ、人は謝罪を要求するのでしょうか。
迷惑をかけたと言いますが、あんたが迷惑を被ったわけでもないだろうに。
わたしはむかし「罪を憎んで人を憎まず」とはよく分からない言葉だと思っていたのですが、今はこれこそが「法治主義」の支柱だと理解しています。
かれらは罪を憎み、人も憎み、生きた証しであり生活の糧でもある仕事や作品も憎むのです。
何がそんなに憎いのでしょう。
わたしは石野さんは同調圧力からファシズムへ向かう日本の空気に、針の穴くらいの風穴を開けてくれたのだ思っています。
権力に抵抗する姿勢を見せてくれたのだと思っています。
レジスタンスとは、組織でも運動でもなく、しようと思えば誰にでもできるということです。
仲間を冷たく切り捨てた「TOKIO」ですが、権力にどんどん吸い寄せられていっています。(そのために山口さんは邪魔だった?)
「食べて応援」やパラリンピックの協力、おとといは、障害者に農業を教えるという「農福連携会議」にリーダーが有識者として官邸に呼ばれていました。
権力者は権力の好きな人間をよく知っているのです。(ほとんどの人がそうでしょうが)
「純烈」よ、どうする!
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