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谷間の百合

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「独り」を怖れない子どもを育てるには。

「リテラ」がウーマン村本さんを取り上げています。
吉本の社長が、百田尚樹や高須院長をディするのを何とかならないかと数時間にわたって説得したということです。
リテラの編集者が村本さんの「個としての強さ」に感動したと書いていますが、わたしもそうです。
吉本に逆らうことは簡単でも、仲間や先輩を批判することは勇気のいることです。
現にある先輩芸人はかれから「それは違うんです」と言われた屈辱を洩らしていました。
しかし、日本の再生があるとしたら「それは違うのです」「自分はこう思います」ということが普通に言えるような社会になれるかどうかにかかっているのではないかと思います。
空気を読むことは人に合わせることだという風潮が定着した社会では、村本さんのような存在は目障りで憎しみの対象になるしかありません。
さまざまなニュースに「触れてしまって、知ってしまって、気づいてしまった」村本さんはもう行動するしかなかったのでしょう。
ほとんどの人は、触れること知ることまではできても、そこから考えることも気づくこともなく、ヘイトの書きこみをするしか能がないようです。
苛めで自殺した女子中生が、「独りになるのがほんとうに怖い」と書き残していました。
日本人には村本さんのような「個としての強さ」が徹底的に欠けています。


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いつだったか、「おひとりさま」の女性が増えてきたというニュースを聞いたときに強い違和感を覚えたのは、わたしは17歳のころから喫茶店でもどこにでも一人で行っていたからです。
いまから思うと、店の人は驚いていたかもしれませんが、わたしはまったくそういうことに気が付きませんでした。
(そういうわたしがいま「個としての強さ」を持ってるかと言えば、まったくそうではなく、現実では人に合わせるという世間智に染まっています。)
女性が一人ではどこにも行けないということを認識したのは後年ですが、そういう女性(男性も)というか母親の影響を子どもが受けないはずがありません。
小さいときから、仲間外れや一人になることを怖れるようになるのも自然の成り行きです。


わたしが自殺の報を聞くたびに強い怒りを覚えるのは、加害者に対してではなく自殺という行為に対してです。
殺人は他人を殺すことだが自殺は自分を殺すことだと聞いたことがあります。
自分ともっとも縁の深い魂を殺すことだと聞いたことがあります。
宗教が自殺を禁じているのもそういう理由でしょうか。
もし、自分の子どもが自殺したらとしたら、わたしは悲しみよりも怒りを覚えるでしょう。
怒りと悲しみの頂点で、わたしはこう罵るかもしれません。
「自分の勝手で自殺するな。親まで殺すな。」と。
残された家族、両親のやり場のない悲しみを思うとわたしは苦しくなる。
親にとってそれは無間地獄です。
一人になることを怖れない子どもが育ってほしい。


「独り」を怖れない子どもを育てるには。_c0243877_1014476.jpg










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by michi-no-yuri | 2019-03-29 10:23 | Comments(0)
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