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谷間の百合

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法はどんな人間にも公正に適用されなければならない。

拘留理由開示手続きの法廷にゴーンさんは手錠、腰縄にサンダル履きという恰好で入廷したという。
人権や尊厳に対する一片の配慮もない非人道的な扱いにわたしは愕然としました。
経験がなくても、それがどれほど屈辱的なことかは想像できます。
外国人記者の質問も専ら長期拘留に対する人権問題に集中したということですが当然です。
日本で人権、人権と言われているのは特定の人のことだと思っているのか自分に当てはめて考える人はあまりいないようです。
しかし、人権も尊厳も教えられるものではなく、本来人間が持っていなければならないものではないのでしょうか。
自白するまで釈放しないといういわゆる「人質司法」一つとっても日本は先進国でも文明国でもありません。
「日本の刑事司法は中世」との指摘はその通りです。
わたしはゴーンさんに好感は持っていませんが、だからと言って辛い目に遭えばいいとはゼッタイに思いません。
どんな人にも法は平等に公正に適用されるというものでなければいけないのです。
法が、警察や検察や裁判所の恣意や裁量でどうにでもなるような社会は無法国家です。
文明以前の社会です。
世界から何を言われても、改革、改善しようという気運も兆候も感いられないことに絶望します。


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ゴーンさんの主任弁護人は大鶴基成という人で、わたしはこの名前と顔は忘れません。
陸山会事件で小沢一郎さんを立件し逮捕することに異常な情熱を傾けた人物ですが、なんであんなに熱心だったのでしょう。
その後、弁護士に転身して今回の件では検察の手法を批判しているというのですから、人間なんて立場次第だということです。

籠池諄子さんが著書の中で、取り調べの検事から「クソババア」「もういつ死んでもいい年だろう」と言われたと書いているそうです。
61歳の人間に、いつ死んでもいい年だろうと言ったというところに上級国民の心情がよく出ています。
自分たち以外の人間はもう人間とも思っていないのです。
だから社会保障費を削減したり年金受給年齢を引き上げることになんの痛痒も感じないのです。
大晦日の炊き出しを山本太郎さんが手伝っていましたが、以前ならニュースになったことがもうマスコミは見向きもしなくなりました。
炊き出しに来るような人間や下流老人といわれる貧しい人間はもう国民の数に入っていないのかもしれません。
麻生さんなら、「それでもまだ生きたいのか」と言いたいところでしょう。
検事の暴言ですが、わたしはそんな言葉を吐く人間はどんな家庭環境で育ったのだろうと思わずにいられません。
人にそんな言葉を吐ける人間は一度も自分のこころを醜いと思ったことなどないのでしょうね。


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by michi-no-yuri | 2019-01-10 10:47 | Comments(0)
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