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谷間の百合

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「戦争責任」という言葉は日本だけで通用する概念ではないでしょうか。

きのう天皇皇后両陛下は昭和天皇の墓陵である武蔵陵を参拝されましたが、余命半年といわれた母が最期のお願いだと言ったのが武蔵陵へ行くことでした。

天木直人さんが、「平成の終わりに昭和天皇の免責を目論む朝日の情報操作」の記事の中で、今上天皇の退位とともに昭和天皇の戦争責任を不問のまま終わらせようとしていると書いています。
わたしは「戦争責任」という言葉が当然のように、既成の事実であるかのように書かれていることに驚くのです。
わたしもかっては、陸海軍を指揮する大元帥なのだからその立場上の責任はあるだろうと簡単に考えていたのですが、いまはそう思っていません。
そもそも「戦争責任」とは何だろうと。
勝利していれば責任を問われることはないのですから敗戦の責任を問うているのでしょうか。
しかし、敗戦は軍人や政治家が招いたことで、天皇に直接の責任はありません。
結局、天皇が開戦を承認したということの責任ということになります。
天皇はすべての国民を敵に回しても戦争反対を貫くべきだったというその一事が問われているのです。

総理の靖国参拝について亀井静香さんと橋下徹が喋っている動画を少しだけ見たのですが、亀井さんって駄目ですね。
歴史観は総理とほとんど変わらないのです。
戦争は天皇の命令で始まった、天皇は明治憲法下で絶大な権限があったのだから戦争を止めようと思えば止められたとトンデモナイことを言っています。
それに対して橋下徹は「指揮命令は出さないという立憲民主制の中でのこと」とまともなことを言っているのです。


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あのころ、国全体が戦争に向かっていたのです。
そして戦争になると天皇初め国民は一人残らず日本の勝利を祈願したのです。
戦後、あらゆる分野で戦争協力者があぶり出されて追放されました。
これはGHQの命令だったのでしょうか。
それとも同じ日本人がGHQに媚びて率先して同胞を売るようなことをしたのでしょうか。
伊丹万作は戦争映画を撮らなかったことで、戦争犯罪者を指摘し追放する側に自分の名まえが勝手に使われていたことに抗議してこう書いています。(戦争映画を撮らなかったのはたまたまのことだったと)

もちろん、私は本質的には熱心なる平和主義者である。しかし、そんなことがいまさら何の弁明になろう。戦争が始まつてからのちの私は、ただ自国の勝つこと以外は何も望まなかつた。そのためには何事でもしたいと思つた。国が敗れることは同時に自分も自分の家族も死に絶えることだとかたく思いこんでいた。

これが、当時の国民みんなのこころではなかったでしょうか。
それが戦争が終わった途端、自分は戦争に反対だった、騙されていたと言い出したのです。
さらに、天皇の戦争責任まで言い出す人間が出てきたのです。
世界に戦争責任という概念があるのでしょうか。
いままで戦争の責任を問われた者(国) 謝罪した者(国)があったでしょうか。
侵略戦争を認めて詫びた国があったでしょうか。
わたしは寡聞にして知りません。


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by michi-no-yuri | 2019-01-08 10:29 | Comments(0)
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