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谷間の百合

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年が改まるということ。

2日の一般参賀に、去りゆく天皇と平成の御世との別れを惜しんで15万人の人が皇居に足を運んだということです。
天皇はお出ましを二回増やしてその気持ちに応えられました。
次はどんな元号になるのでしょう。
元号制は百害あって一利なしだと言う人がいますが、なんと勿体ないことを言うのでしょうか。
個人的に、形式的な慣習はことごとく排除してきたのは、天皇制という不合理の象徴のような文化への安心感があることが大きいと思います。
もし、年号が西暦だけになると、無機質でのっぺらぼーの顔のない人間のようで、わたしは想像するだけで気が滅入ります。
囚人は番号で呼ばれることで、基本的人権も人格も否定されますが、そんな感じだと言えばイチバン分かり易い。
元号は国にとっての人格なのだと思います。
天皇も元号も否定する人は文化というものを何と心得ているのだろうと思わずにはいられません。
天皇制という不合理こそがまさに日本の文化であり、守るべきものではありませんか。
世界はほとんど西暦だと言いますが、世界の潮流といえば、なんとなく正しいことのように言うのは止めてほしい。


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お正月気分というものがなくなりました。
きのう、うつらうつらしながらむかしのお正月風景を思い出していたのですが、それは全身が切なさと甘さに充たされていくような感動的な感覚でした。
年が改まるという感覚はとくに日本人に顕著だということですが、大晦日の24時と同時に気分が改まるというのはまさにミニ「革命」といってもいいくらいの日本の文化ではないでしょうか。
しかし、年は改まりましたが、厄病神がまだ居座っているのでこころが晴れることはありません。

ことしも一月から総理の外交日程が詰まっているようです。
いつまで国民は総理の外交しているフリに付き合わされるのでしょうね。

プーチン大統領が新年恒例の国民へのビデオメッセージで
「ロシアを助けてくれるものはないし、これからもない。そのため、我々は強く団結したチームにならなくてはいけない」と言いました。
わたしは、これは自国の国民へというより日本政府と日本国民にあてつけたものではないかと思いました。
まだ日本人はアメリカが日本を守ると思っているのかと言いたいのだと思いました。
総理が決然と同じことを言うだけで、米軍基地は不要になるかもしれないのです。
F35戦闘機を100機購入する必要もなくなるのです。
防衛というものを軍備面でしか捉えられないような愚かな総理で日本はいつ破滅してもおかしくありません。


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by michi-no-yuri | 2019-01-04 10:30 | Comments(0)
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