以下に、きのう頂いたHN「しんのすけ」という方のコメントを転載します。
私も誤解なきように申し上げておきますが 天皇の責任を糾弾せよという立場ではありませんし また天皇に必要以上の馬鹿丁寧な言葉を使う人間も大嫌いであります
あの戦争の責任者は誰だ こういう論議を戦後はたびたび巻き起こる事が絶えなかったそうですが 私の戦争観に大きな影響を与えたのは 旧満州で、地獄のような体験をし命からがら生還を果たし、戦後も筆舌に尽くし難い苦難を味わった
私の伯父から直接聞いた事なのです
その 満州で地獄を見た伯父から教えられた戦争観は
「あの戦争 誰の責任だという議論がたびたび耳にするが、伯父さんに言わせれば あの当時の日本国民すべてが戦犯なのだよ そのくらい当時の日本人は自惚れていた思い上がっていた 特に満州における日本人は不遜だった バチが当たったとしか言い様はないのだ」
※ いいか、お前ら この満州で一番偉いのは 我々日本人だ
その次がロシア人 そして満人 漢人 一番卑しいのが朝鮮人だ
日本人の親たちは 子供たちに平気でこう教えていたという ※
つまり 我々が一番大事にして議論しなければならない事は
「あの戦争を 二度と繰り返してはならない」 という事に尽きるのではないでしょうか
【責任者の断罪】ではなくて【再発の防止】こそが最重要と考えるべきで、ただ単に感情的に責任追及に徹すれば 国家の最高責任者として主権者である天皇に行きつくのは当たり前の事でしょう
わたしは今テレビやネットで吹き荒れている「日本スバラシイ」の風潮が忌まわしくてなりません。
また、戦前が戻ってきました。
周辺国を下に見て増上慢になっていた日本人を作ったのは、明治の「教育勅語」の教育のせいなのでしょうか。
そして、いままた「教育勅語」を持ち出してそういう国にしようとしているのが安倍政権と「日本会議」
若者の右傾化は、先の見えない不安や日常感じている不満を「日本スバラシイ」で発散したいだけではありませんか。
陶酔したいだけなのではありませんか。
サッカーの試合で打ち振られる大きな日の丸を見て陶酔するの同じ心理なのですが、問題はそれがスポーツに留まらないということです。
やつらは戦争推進のためにはなんでも利用するのです。
伊丹万作、高畑勲さんは国民を痛烈に批判しました。
国民には、自分とは関係ないと思うのか戦争に対する反省がまったくありません。
昭和天皇は晩年、侍従に「戦争責任を言われる」と洩らしたそうですが、侍従が聞いたのはそれだけで続きはなかったと思います。
これが「帝王学」というものか、あるいはこれが天皇が継承している精神的な「血」なのかと想像して深い感銘を受けたのですが、つまり、誤ることはあっても、嘘はもちろん、言い訳、自己弁護を一切しないというか、そもそもそういうこころ持ち合わせていないのが天皇だとわたしは思っています。
自分は何も悪いことはないと、一方的に天皇を憎み、貶めている人間は、当時威張り散らしていた人間と同類ではないかとわたしには思えてなりません。
「保身のために」という言葉は衝撃でした。
ついにそんなこととまで言う国民が現れたのかと。
日本がそんな国であってはいいのでしょうか。
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