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谷間の百合

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天皇への否定的な感情はどこから生まれてくるのか。

わたしがブログを書きたいと思った動機の大きな部分に、天皇へのネガティブな言論にたいして、それは違いますと言いたいという「やむにやまれぬ」思いがありました。
きのういただいたコメントにそれに触れられた個所があり、反論ではなく、自分の日ごろの思いを書きたくなりました。

昭和天皇が原爆投下について、「やむを得なかった」と言っているのはわたしも聞きました。
では天皇はどう言えばよかったのでしょう。
もっと感情を込めて言えば良かったのでしょうか。
しかし、天皇にはそれができません。
そんな器用なことはできないのです。
わたしは、人の口から出た言葉より、媒体を通じて表現された言葉を信じます。
この件でいつも脳裏に浮かんでくるのが、いつかどこかで読んだ三島由紀夫の次の言葉です。

「ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。紛れもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかえしません」といった。原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文学は、終戦の詔勅の「5内為ニ裂ク」という一節以外に、私は知らない。」(5内=ごだい=五臓六腑)

ヒロシマ、ナガサキの悲劇はさまざまに語られてきましたが、どれ一つとして天皇のこの6文字に適う言葉はなかったように思います。
口に出しては言えなかったもろもろの感情(アメリカや軍部に対する)もここには込められているのを感じます。
やはり、天皇一人が民族的憤激を代表していたということです。


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明治天皇すり替え説はわたしには噴飯、荒唐無稽としか言いようがありません。
親が冗談に、お前は橋の下から拾ってきた子だと言うような類の話だと思っています。
幕末から明治にかけて歴史がいったんリセットされ人間もすべて入れ替ったとでも考えない限りあり得ない話です。
明治天皇は14歳で即位するまでに、多くの人と面識があったはずです。
幕末の志士、明治の元勲、公家などなど、かれらはみんなグルだったのですか。
口裏を合わせていたのですか。
西郷隆盛もグルだったのですか。
まして、人の口に戸はたてられないのに、どうして秘密が守られたのでしょう。
西郷隆盛は天皇の教育係として山岡鉄舟を招きましたが、二人は何も気がつかなかったとでも?
西郷隆盛が明治天皇を厳しく叱ったり、鉄舟が相撲で天皇を投げ飛ばしたりしたのは、相手が平民の大室寅之助だったからだとバカなことを言う人までいますが、いまの、中高生くらいの年ごろの天皇に対して、二人が本気になって愛情を注いだということがどうしてわからないのでしょう!
そもそも、すり替え説なるものはいつごろどこから出てきた話しなのでしょう。
ちょっと考えれば疑問が噴出してくるはずなのに、そのチョットを考えない人の多いことがかなしい。


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by michi-no-yuri | 2018-10-08 10:32 | Comments(0)
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