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谷間の百合

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なぜ読み間違いが生じるのか。

総理が「背後」を「せいご」と読んで笑われています
先日は、本田圭佑さんが「清々しい」を「きよきよしい」と言い、すぐ間違いだと分かって「お恥ずかしい、漢字が苦手で」とツイートしたことがなんとも清々しい態度だと好感を呼んでいましたが、総理大臣ともなるとそうもいかないのでしょう。
だれにでも知らないこと思い違いはあるのですが、総理であるからには慎重の上にも慎重であるべきなのです。
「なし崩し」と「やおら」を間違って解釈している人が多いということですが、本を読む人なら文脈から意味するところが分かるのですが、かく申すわたしも「やおら立ち上がる」を「突然立ち上がる」と思っていたのです。
「なし崩し」は社会現象や時事問題などを語るときによく使われるのですが、「やおら」は主に小説で使われる言葉のようで、小説を読まないわたしが思い違いをしていたのもむりはないのかもしれません。
小説を読んでいれば、慣用句などもっと自在に操れたのにと思っても後悔先に立たずです。
わたしがこの10年以内にはじめて知った言葉に「ガタイ」と「タメ口」があります。
そういえば、「図体(ずうたい)」という言葉を聞かなくなっていたことに気が付きました。
言葉は時代と共にどんどん変わっていくのですね。


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「背後=せいご」から苦い思い出がよみがえってきました。
はるかむかしの中一のとき、友だちと下校途中に歯科の看板を見て、友だちが「しか」と言ったことに対してわたしが「はいか」だと言ったことです。
「背」は「せ」とも「せい」とも読めますが、「歯」はゼッタイ「はい」とは読めません。
同じ中一のとき、新聞の見出しに「犯行を自供した」とあったのを「じとも」と読んで母や兄が大笑いしたこもきのうのことのように覚えています。
恥ずかしいことは忘れないのがうらめしい。

前にも書いたことですが、他人事ながら恥ずかしいと思ったのが、宗教学者がテレビで「帰依」をなんども「きい」と言ったことです。
この人は本からしか知識を得ないからこんな間違いをするのだろうと思いましたが、総理の間違いは本も読まないし、人の話も聞いていないからだと思います。
人の話し、国民の声を聞いていない証拠です。
もし、人の話しを普通に聞いていれば、「云々」を「でんでん」と読むことなどあり得ないのです。
人の会話に「でんでん」が出てくることなど万に一つもありません。
人の話を聞かない以前に、人に関心がないのです。
そんな人間が総理大臣でいいわけありません。

藤原京址から畝傍山を望む。
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by michi-no-yuri | 2018-09-29 11:01 | Comments(0)
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