アインシュタインが来日して帝国ホテルに泊まったときに書き残したメモに1億8千万円の値が付いたことが話題になっています。
「静かで質素な生活は、絶え間ない不安に縛られた成功の追及よりも多くの喜びをもたらす。」
というものですが、同じことを他の人が言っても「ああそう」で聞き流されてしまうものでもアインシュタインが言えば2億近い価値になるのです。
わたしだって子どものときからそう思っていたと言えば怒られそうですが、でも半分はウソですが半分はホントなのです。
お金持ちを羨む気持ちはもちろんありましたが、家族が貧しい小さな家で折り重なるように寝るような生活も憧れでした。
貧しいというほどではなくて、それに近い幼少期を送れたことは幸せだったのです。
ところで、もう一枚のメモに書かれていたのは「意思のあるところに道あり」という言葉でしたが、これを見て一抹の不安を覚えたのは、「夢は必ず叶う」と解釈されないかということでした。
わたしは、この「意思」は、探究心とか知的好奇心のことだと思ったのですが、違うでしょうか。
アインシュタインの言っていることは、日本人に共感を得るのは難しいのではないでしょうか。
もう、なにもかもが遠心力で回っているような社会になっているからです。
廻っている歯車を止めることも不可能だし、ましてそこから飛び出すことなどできません。
そして、歯車は加速しています。
加速して、振り切れるところまで行くしかないようです。
振り切れたところがどういう世界なのか想像もできませんが、とにかく、そこまで行くことだけは確かなことだと思います。
カタストロフィを経ないと再生はないのだと。
親が子どもであるわたしに、なんの期待もしてくれなかったことにわたしは感謝しています。
ほんとうによかったとこころからそう思っていますが、親同様にわたしが子どもに何も期待しなかったことを、子どもが感謝してくれるかどうかは分かりません。
しかし、正しく言えば、期待しなかったというのはウソです。
「いい人」「まっとうな人間」になってほしいと願ったことは期待には違いありませんから。
元来、親ならだれでもそれだけを願ってきたのではないでしょうか。
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