神奈川県大磯中学校の給食がニュースになっていました。
最近の子どもは贅沢だとか甘やかされているというのは問題の本質ではありません。
いちばんの問題は給食が「冷たい」ということです。
橋下市長の大阪でも問題になっていましたが、それから何も考えられてきていなかったようです。
家族がバラバラに食事するときも、だれかが遅れて食卓に着く場合でも、そのたびに母親はおかずやお味噌汁を温め直します。
当たり前のことです。
食べもの屋さんで冷たいものを出されたら客は怒るでしょう。
食べずに店を出るでしょう。
なぜ、学校では平気で冷たいものをだせるのか、そのこころがわたしには理解できません。
小学校、中学校を通して、冬になるとストーブに金網の囲いがされ、その上に、みんながお弁当を乗せました。
しばらくすると、いい匂いが教室中に漂ったものでした。
偉そうに言うわけではありませんが、これが教育の原点ではありませんか。
日野皓正さんのビンタ事件も、あれを教育だとか愛のムチだとかいうのはゼッタイ間違っています。
愛のムチでないことは日野さん本人がいちばん知っていることです。(日野さんに反省のこころがあれば)
むかし(戦前)は暴力が普通だったというのは嘘です。
子どもの顔を殴るようなことは、たとえば、神聖なものに手を触れるような感覚だったのではないかと想像します。
もう一つの問題は、生徒の一人が、だれかがこんなまずいものは食べられないと言うと、自分も食べられなくなると言っていたことです。
そのだれかが、みんなから一目置かれているような子だったら猶更でしょう。
同調圧力なのでしょうが、しかし、それだけではないと思います。
食べられなくなったのは、人がまずいと言っているものを食べると、家ではこんなまずいものを食べているのかと家庭の食事事情や味付けまで疑われるのではないかという恐れがあるからではないでしょうか。
冷たい給食を生徒に出すというのは、出す方のこころが冷えてないとできないことです。
最近の子供は、と言う前にまず温かい給食を食べさせてやってください。
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