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谷間の百合

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八日目の蝉。

先週の「バイキング」で、東国原さんの爆弾発言がありました。
馳浩前文科大臣がゲストで出ていたのですが、その馳さんに向かって、文科大臣を退任になったのは、官邸の指示に抵抗したからではないか、それで何でも言うことに従いそうな松野さんに代わったのではないかと。
司会の坂上さんが大袈裟に驚きの声を上げスタジオは騒然となったのですが、馳さんは表情一つ変えることなく何も言いませんでした。
(もしかしたら、事前の打ち合わせがあったのかも?)

去年の8月に馳さんは退任したのですが、その引き継ぎ式でかれは堪えきれないように涙を見せました。
同じ時期に退任した中谷さんも涙を見せました。
こんなことは異例で、男の涙はほとんどが悔し涙だろうと思っているわたしは、ただ、ナニゴトがあったのだろうと想像するしかありませんでした。

引き継ぎ式で、馳さんが「つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのうきょうとは思わざりし」のうたを引用したのは、この退任が意に添わない唐突なものだったことを匂わせたかったのかもしれません。
さらに、馳さんは、当時事務次官だった前川さんが送った「仰ぐ空名残惜しくも蝉の声」の句に応えて「八日目の蝉になるとも文科省」という一句を残して文科省を去って行ったということです。


八日目の蝉。_c0243877_9415195.jpg


官邸の言うことに唯々諾々従う人間に「蝉の声」とは言いません。
蝉は、何かを訴えるように、ここをせんどとばかりに全身で声を限りに鳴きます。
その声は、聞くものによってはこころを抉らんばかりに哀切です。
絶唱のように胸に迫ります。
前川さんは馳さんをそのように見ていたということでしょうか。
馳さんが官邸に抵抗したのか、或いは抵抗しそうだということで切られたのかは分かりませんが、去年の八月と言えば、総理と加計幸太郎さんが頻繁に会っていたころであり、前川さんに早く事を進めよとの圧力が強まっていた時期です。

わたしは「八日目の蝉」とは古くからの諺かと思っていたのですが、(「十日の菊」との混同があったのでしょう)角田光代さんの小説の題名でした。
小説の中に、それを説明している個所が以下のものです。

「七日で死ぬよりも、八日目に生き残ったほうがかなしいってあんたは言ったよね。私もずっとそう思ってたけど」
「それは違うかもね。8日目の蝉はほかの蝉には見られなかったものを見られるんだから。」


8日目の蝉となった馳さんが何を見たかは言うまでもないでしょう。
しかし、それを自分の口からは言えません。
わたしは、東国原さんの爆弾発言に微動だにせず一言も発しなかった姿に、8日目の蝉となった馳さんの怒り、かなしみを見たように思いました。


八日目の蝉。_c0243877_9423817.jpg











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by michi-no-yuri | 2017-07-31 09:47 | Comments(0)
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