例の文書が明るみにでてきたとき、官邸は流出させた人物、つまり前川さんのことは早くに特定していたようです。
記者会見をしたのは、身の危険を感じたからだと言われていますが、身の危険と同時に真実が闇に葬られるのを何としても阻止したかったからではないでしょうか。
それに、、在職中にそれが出来なかったことへの忸怩たる思いも強く作用したのかもしれません。
きのう、わたしは、前川さんが文科省を去るときに二千人の部下に宛てて送ったというメールを読んでいてなんども熱いものが込みあげてきました。(ほんとうは、声を上げて泣きたいくらいでした。)
このような文章はウソの気持ではゼッタイに書けません。
「特に、弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、行政官の第一の使命だと思います。」
「人を生かし、自分を生かし、みんなが生き生きと働く職場をつくってください。」
「-様々なタイプの少数者の尊厳が重んじられ、多様性が尊重される社会を目指して欲しと思います。
気は優しくて力持ち、そんな文部科学省をつくってください。」
わたしは人を見るとき、その人と会って楽しくて気持ちのいい会話ができるだろうかという点をいちばんに考えます。
話の上手下手は関係なく、こちらを温かく迎え入れてくれるかどうかということです。
このごろ、目はこころの窓とか鏡とか言わなくなりましたが、わたしは、眼差しがすべてだと思っています。
こころが柔らかい人は、眼差しも柔かい。
こころが温かくて優しい人は、眼差しも温かく優しい。
前川さんはそういう眼差しをしていました。
あの眼差しはだれに対しても、風俗の女性、子ども、老人、虐げられている人々にも変わることはなかったと思います。
モラルハザードが極まったところに前川さんの出現は、干天に慈雨というか、歓喜のシャワーが降り注いだようでした。
この歓喜にたいする感謝の気持ちはどこに向ければいいのでしょうね。
しかし、前川さんは相変わらず危険です。
官邸は後に続くものが出てくることを最大に警戒していて、そのためには前川さんを見せしめにしないといけないからです。
それにはどうすればいいか、いまメリット、デメリットをいろいろ並べて検討している最中ではないでしょうか。
きのう、総理は「圧力は一切なかった」と言い切りました。
だとしたら、昨年二月時点で、内閣府が獣医学部新設は困難としていたのに、なぜ、その半年後には「急げ」になったのでしょうか。
不思議な話ではありませんか。
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