ベトナム国籍の9歳の女児が殺害された事件は、残忍この上ない犯行で、遠い日本で未来を断ち切られたその無残な運命には涙を禁じ得ません。
ところで、きのうの新聞の報道にあったのですが、父親のハオさんが極刑を望むと言う一方で、「真実を言ってほしい。やっていないのならやっていないと言ってほしい」と言ったとあり、わたしは奇異な感を持ちました。
ほとんどの遺族は、逮捕された容疑者に憎しみ、悲しみ、怒りをぶっつけるものなのに、なぜ、父親はほんとうのことを言ってほしいと言ったのだろうと不思議だったのです。
そこで考えたのが、地域の住民の間で誤認逮捕ではないかという噂が囁かれているのではないかということでした。
もちろん、あくまで想像ですが、真犯人かもしれないけどそうでないかもしれないというのが今の状況だということをみんなが認識する必要があるのです。
わたしは以前から、マスコミが、逮捕=犯人であるかのような報道をすることが冤罪を生む大きな要因だと言ってきました。
それが、警察をして退くに引けない状態に追い込んでいる面があると思うからです。
きょうの新聞は、軽の後部座席から採取された髪の毛が女児のものと一致したと報じていました。
しかし、わたしはそれも直ちに信じることはできません。
仙波さんが、証拠の捏造、事件のでっち上げは日常茶飯事だと言っておられましたが、わたしも当たり前にそう思っているからです。
警察は何でもアリで、なんでもヤルと。
以前にも書いたことですが、わたしは16.7才のときに、2回続けて警察で取り調べを受ける夢を見ました。
いくら声を涸らして無実を訴えても、言葉が通じず、泣き叫びながら目が醒めて呆然としていたことを鮮明過ぎるほど覚えています。
警察の怖さは、言葉が通じない者が権力を持っているということに尽きます。
わたしが、捕まった経験もないのに、そういうことになると想像力が研ぎ澄まされるような感じに陥るのは、そのときの夢があまりにもリアリティがあったからだと思います。
あの夢は、前世での経験だったのか、それとも予知夢なのか?と思ったとたん肌に粟が生じたものでした。
最近、NHKが変わってきたのを感じます。
メディアの少しの変化がこれほど希望の灯になるのかと思うと涙が出そう。
メディアにはもっと自分がもっている権力?を自覚してほしい。
その気になればなんでもできるのです。
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