「反戦の家づくり」のツイッターに
「この事件の不可思議なのは、関係者がみなリスクばかりで実利がないこと、本当にイデオロギーだけでここまでリスクを、多くの役人を含む人々が負うものだろうか。
やはり、情念の元は神社本庁だろうか」
と書かれています。
人はパンのみにて生くるに非ず、ではありませんが、人を突き動かすものは実利よりイデオロギーであり情念だと思います。
実利のために、たとえ人を殺してもせいぜい数人ですが、イデオロギーは何万、何百万という人間を殺します。
それが、ナチズム、共産主義の恐ろしさでした。
文化大革命など、権力闘争のために知識人を一人残らず殺し、文化財を徹底的に破壊しました。
カンボジアのジェノサイドなどはどう説明されるのでしょう。
あの熱病のような狂気はどこからくるのでしょう。
それに比べると政治の腐敗などは可愛いものに思えてきます。
わたしは、憲法改正の機が熟してきたこと、そして、戦争ができるかもしれないという期待が「日本会議」の中の人々を熱病とまでは行かなくても相当熱っぽくしてきていたのではないかと思いました。
戦前、靖国神社は戦争推進の象徴的施設でした。
そのせいで戦後は神社本庁は不遇をかこってきました。
「反戦の家づくり」さまが言われるように、「神社本庁の怨念のマグマは大きい」ということでしょう。
その怨念が、日本に対してそれ以上の怨念を持つ統一教会に利用されたということではないでしょうか。
何もかもが統一教会に乗っ取られてしまっています。
夜明け前
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