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谷間の百合

taninoyuri.exblog.jp

昔と今を繋ぐもの。

「この世界の片隅に」は伝承文学として日本の歴史に確たる足跡を残しました。
作者のこうの史代さんは、これをきっかけに家族のなかで会話がなされるようになればいいと言っておられますが、もう絶望的かもしれませんが、一日中スマホの上に目を落としている日本人への最後の警告として受け止めるべきではないでしょうか。
会話がない社会は奴隷社会です。

わたしは、この作品を通じて、ず~っと「遠野物語」と祖母を連想し意識していました。
こうのさんがモデルについて語っておられるかどうか知らないのですが、わたしは、実在の人間を通してしかこの作品が生まれることはなかったと思います。

「遠野物語」は佐々木某という人物が語ったことがそのまま文字となったのですが、それを文学に昇華させるのは並みの才能ではなく、柳田國男にして初めて成ったことだと思います。
わたしは、いわゆるオリジナルとか創造というものを信じません。
すべてはすでにあるものだと思っています。
それのどこを切り取って光を当てるかだと。


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水原の、英霊として祀られることを嫌ってすずの中で生き続けたいという願いは叶えられ、その後何十年とすずの中で生き、そして最後に、こうの史代さんの伝承者たらんという情熱に引き継がれて歴史の中に帰っていきました。

祖母は読み書きのできない人でしたが、話の達人でした。
日常茶飯事のこと、あるいはおかしなこと嬉しいことを話すときも、目に涙を浮かべ、笑いながら驚いたように話すのでした。
乙女心を形容するのに、箸がこけてもおかしい年ごろ、と言いますが、祖母は99才で亡くなるまでそうでした。
なんでもないことが、祖母の目を通すと、新鮮な驚きになるようでした。
わたしは祖母が目に涙を浮かべてこう言ったのを聞いたような気がします。

「水原さんは、おれ(女でもおれでした)が台所で野菜をきざんでいるのを、ハハハ、ハハハ笑いながら見とりんさったよ(見ていたよ)」

すずさんは、水原の言葉の一つ一つをきのうのことのように鮮明に覚えていたのだと思います。

かって詩人は本を捨てて街へ出ようと言いました。
いまだれかが、スマホを置いて話をしようと呼びかけて耳を傾ける人がいるでしょうか。


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by michi-no-yuri | 2017-02-06 10:47 | Comments(0)
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