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谷間の百合

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二十九日 その一  「人のいのちには限りがある。」

産経が、「北方領土 屈辱の交渉史」を連載しています。
きょうで5回目ですが、わたしは「抑留者の命には限りがある」という見出しに興味をひかれて初めて記事を読みました。

鳩山兄弟の祖父、鳩山一郎はそのとき、もう生きて帰れないかもしれないと家族が思うほどの重篤の身でありながら日ソ交渉のためにモスクワに向かったのですが、当時(1956年)はプロペラ機でモスクワまで6日を要したとあります。
交渉の基本方針は、「戦争状態の終結」などの5条件でしたが、出発直前に、自民党が二島の即時返還と択捉、国後は引き続き協議するという2項を党議決定したので、それを共同宣言に明記したいと要求したところ、
フルシチョフは、約束が違う、北方領土を返せと言うが、米はいまだ沖縄を返していないではないかと激怒したそうです。
わたしは、北方領土の問題が解決しないのは、沖縄のことがあるからではないかと思っています。
日本に返還されたとはいえ実体は何も変わっていないのですから。
だから、択捉にミサイル基地が建設されても日本は抗議できないのです。
日本には米軍基地がたくさんあるではないか、それでも日本は主権国家といえるのかと言われたら、日本は黙るしかないからです。
プーチン大統領の苛立ちは、主権の無い国と交渉することの虚しさからくるのだろうとわたしは想像しています。


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わたしは、鳩山一郎の次の言葉をぜひ総理に読んでもらいたい。
(読んでも何も感じないでしょうが)

「一部に、択捉、国後を取らないうちは断じて日ソ復交はすべきではないなど言っている人のいることも知っていたが、それこそ抑留者のことなど少しも念頭に置かない非現実的な考え方だ。
領土は何年たってもなくなることはないが、人の命には限りがある。」


総理の考えやしていることに「人のいのち」は入っていません。
拉致の解決が政権の一番の優先課題だと言いながら、棚からぼたもちが落ちてくるのを待っているように、ただただ何もせずに待っているのです。
よく拉致の国民集会に顔が出せるものだと感心します。
そして、まだ総理に期待している家族にも感心します。

鳩山一郎に限らないと思うのですが、むかしの政治家の中には国民への愛情を持っている人がいたのです。
ところが、安倍総理は国民が生活苦に喘ごうが死のうがまったく関心がありません。
小泉純一郎は冷血だと言われていましたが、安倍総理は自分に関係があること以外はまったく「無関心」です。
愛の反対は無関心だと言いますから、まだ小泉純一郎のほうが良かった??


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by michi-no-yuri | 2016-11-29 11:31 | Comments(0)
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