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谷間の百合

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再び、浜ちゃんのこと。

ダウンタウンの浜ちゃんが番組内で「京都の人間は根性が汚い!」と吐き捨てるように言ったことに、わたしが驚いたのは、ゼッタイといっていいほど人の悪口、批判、批評をしない人がなぜそこまで言ったのかということでした。
こすい(狡い)ことが許せない任侠浜田にとってはよほどのことがあったのだろうと想像するしかありませんが、そこで、どこにでもいい人もいればそうでない人もいると言ってしまっては話が終わってしまいます。
わたしは、やはり京都は特別だと思っています。
バイトをしていたとき、その職場には男性二人、女性がわたしを入れて三人でしたが、男性一人を除く三人は根っからの京都人で、その意地の悪さは想像を絶するものでした。
普通シカトと言えば相手を無視することですが、相手を見ながらシカトするという老練なテクニックは、歴史の風雪にたえて鍛えられたものなのかと感心したものでした。
男性の一人の小狡さは同じ人間とは思えないほどでした。
しかし、これら下級京都人ともいえる人たちに比べると、上級京都人の意地悪は奥が深く、素人や外の人間にはなかなか分かるものではありません。
わたしは一年以上経って、あああれがそうだったのかと気が付いたくらいです。
(自分が笑い者になっていることも分からずに、一緒になって笑っていたのですw)


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きょう書きたいのはそのことではなく、わたしが浜ちゃんのどこに任侠を感じるかということでした。
いままで、わたしの考えが受け入れられることはほとんどなかったのですが、たとえば、わたしが人と違うこと、過激なことを言って周りから叩かれ白眼視されるというような場面を想定したとき、あくまで想像ですが、浜ちゃんはこう言ってくれるように思うのです。
「ええ、ええ、考えの違うもんがおってもええ」と。
わたしの考えと相いれなくても、そう言ってくれそうに思うのです。
これが、わたしの思う任侠のいちばんの条件です。
わたしの考える最高の人間像です。
考えの違いが何だっていうのですか。

小沢さんが言われた「共感力」とは、同じ考えに対する共感ではなく、人間の本質、根源への共感です。
考え方、感じ方が同じであることは喜びですが、そうでなくても共感できるということが、わたしは人間の条件だと思っているのです。
とはいえ、総理を初めとする政治家に共感できるかと言えば「ノー」です。
私人としてならともかく、かれらは公職にある公人です。


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by michi-no-yuri | 2016-11-27 10:13 | Comments(0)
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