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谷間の百合

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十五日 その一  家で死にたい。

わたしは死ぬときは家と決めていました。
それには死亡診断書を書いてもらう主治医を作っておかなくてはと思い、病気でもないのにある医院に顔つなぎのために年2回は行くようにしていました。
それでほぼ安心していたのです。
ところが半年ほど前に、病院での死以外は、たとえ自宅であっても変死、不審死の扱いになるのだということを知りました。
主治医以外に、警察から検視官や警官がドヤドヤくるらしい。
家族、(喪主だけ?)の職業まで訊くらしい。

そのときからわたしの悩みが始まりました。
そんなこと、ゼッタイ許せないと思いました。
厳粛であるべき個人の死に、国家が介入してくるのは許せないと思いました。
知っている人がいたら教えてください。
これは拒否することはできないのですか。
どうしても拒否できないのなら、わたしは考えを変えなくてはなりません。
死にそうになったら、入院させてもらうべく、こんどはそのためにどこかの小さい病院と昵懇になっておかなくてはなりません。
それにしても、なんでこんな法律が簡単に作られてしまったのでしょう。
死んだときくらいそっとしておいてほしいのに。
これが問題にならないのは、いまではほとんどの人が病院で死ぬからでしょうか。


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大きな窓辺にベッドを寄せて、犬やニワトリやうさぎが走り回っていた庭や畑を眺めていたいのです。
遥か向こうに連なる布引山脈とその上を流れる雲を眺めていたいのです。
いまだに思い出すのも苦しい犬の死。
かれは死の3日前、畑にいくと、愛おしそうに土の匂いを嗅ぎ、それから鼻を天に向けて、1月の山間の清冽な冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだのです。

しかし、こんな望みを犠牲にしても、わたしは警察を拒否したい。
警察だからなんでも許されるという空気をこれ以上蔓延させないでください。


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by michi-no-yuri | 2016-11-16 04:41 | Comments(6)
Commented by nao at 2016-11-16 11:26 x
お久しぶりです
この「自宅で何故死ねない」は私もいつも考えている問題で
冗談まじりの文章になってしまいますが
私が考えた事を述べますね

事前に掛かり付けのお医者さんを見つけておく事なんですが
今は大病院ばかりのお抱え医者ばっかりでしょ
そうじゃなくって 古びた木札とかをぶら下げているような
町医者でなければ融通が利かない

でも今時近所に町医者があるか?!・・ない
そもそも木札をぶら下げているような町医者の先生は
お年寄りだと思うから 盆暮れの顔出しで「何ぞの時」を
お願いしていっても先に亡くなる可能性が大きい

息子娘従兄弟ハトコ なんでもいいから医者を探すも
ヤブで有名な歯医者しかおらず・・・

ただ一枚の「死亡診断書」これが欲しいわけで

たとえば 私の死に医者が間に合わなくてもいいの
「わかりました死亡診断書出しますね」と便宜を図ってくれたなら 警察やら検視で解剖されたり(無礼者です)
いじくりこねくりまわされる事もなく
なにしろそーーっと 一番安い イヤそれもいらないからw
安らかに眠らせて欲しいんだけれど

そんな願いも届かない世の中だから
あのナルシストの高倉健さんだって 病院で死ぬしかなかったんだろうなぁ・・・と可哀想になったもの

からだが弱ると心も弱りますから
お大事になさってくださいね
Commented by 山桜 at 2016-11-16 17:13 x
いつも読むだけなのですが、
ご懸念のことについて少々。

ご自宅で、ご家族、医師などのどなたかが
看取られれば、検死は必要ありません。
医師立ち合いであれば、すぐに死亡診断書がでますし、
医師が不在でも、ご家族が看取られ、
その後医師を呼ばれれば大丈夫です。

しかし、ご自宅であっても、
お一人でご家族が気づかないうちに
亡くなられていたという場合、
警察が呼ばれます。
事故や事件の可能性を排除するためです。
解剖は何か事件性が疑われない限り行われません。

「家で死ぬ 検死」等で検索をかければ
葬儀社等のサイトに記載があります。
ご参考にされてはいかがでしょうか。
Commented by michi-no-yuri at 2016-11-16 22:16
naoさま

コメントありがとうございます。
なおさま、わたしたちの心配は杞憂だったようです。
山桜というHNの方が、医師が死亡を診断すれば警察が関与することはないと教えてくださいました。
たしか、なおさまは一人暮らしでしたよね。
一人暮らしの場合はちょっと問題ありのようです。
でも、なおさまには近くに何人も友だちがいるようですから、まだ先の話だとしても、いまから毎日声をかけてもらう習慣をつけておかれたらいいのではないでしょうか。

さすが、木札の掛かったような医院はありませんが、幸い、近くに戦前からの洋館で、アニメにでてくるような医者がいる医院があります。(昭和の映画に出てきそうな雰囲気があります)

わたしは、死の恐怖の大きな部分を占めるのが、準備ができていないということにあるように思います。
その意味で、終活は大切なことだと思うのです。
人間関係も含めて身辺整理ができていれば、最大の心配ごとがなくなるわけですから、楽しく晴れ晴れとした気分で老後を送れそうです。

家で死ぬ人が少ないのは、家族の意識もそうでしょうが、本人も家族に迷惑をかけることを恐れて諦めてしまうのではないでしょうか。
ほんとうは家で死にたくても、それが出来ないような社会になっていることに寂寥感を覚えます。

そちらはもう雪が舞いましたか。
また、吹雪の日に蝶々が窓を叩くかもしれませんね。
Commented by michi-no-yuri at 2016-11-16 22:24
山桜さま

コメントありがとうございました。
ほんとうに嬉しく、大きな安心を得ることができました。
でも、なぜあのような情報が流布しているのでしょうか。
独り暮らしで孤独死する人が多いことから、それが一般化されたということでしょうか。
しかし、現実には、ほとんどの人が病院で死んでいきますし、お葬式もマニュアル化されていて、嫌な社会になりました。
なんで、決められたことに、人々は黙々と従っているのだろうと不気味になります。
Commented by 山桜 at 2016-11-17 20:48 x
身近で死を看取るということが殆どなくなり、
一人暮らしをされていたご家族が亡くなられた時、
報せを受けて行くと、警察が呼ばれていたということが
多くなっているからかもしれませんね。

一人暮らしをされている高齢者の方でも
介護を受けている場合、
ヘルパーさんが看取りをすることで
警察を呼ばないということも可能です。
もっとも、看取りをするヘルパーさんの心の問題もあり
色々と複雑な社会になってきていると感じます。

お葬式も家族葬、葬儀自体を行わないなど
色々な形を選べるようになってきています。
お寺が廃業危機になる要因の一つだそうです。

病院でいくつものチューブやモニターを付けられて
データを見て「御臨終です。」というのは
ちょっと何だかなあと思います。




Commented by michi-no-yuri at 2016-11-18 15:31
山桜さま

コメントありがとうございます。
忙しくもなく、暇でもないような生活が理想だと思いますが、現実は両極端というか、忙しい人ばっかりになって、世の中から潤いや思いやりが失われていきました。
忙しいと、とても人のことに構っていられなくなり、どんどんギスギスした社会になっていきます。
わたしは、できれば家で死にたいと思っている人は多いと思います。
でも、時代の流れに逆らえず、家族にも言えなくて諦めてしまうのだとしたら悲しいものがあります。
家族から「わがまま人間」だと言われてきたわたしは、最後までわがままを通して有終の美を飾るつもりです。
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