前にも書きましたが、参院選で自公が改選議席の過半数を獲得して、一気呵成に憲法改正へ突き進みそうな空気が色濃く出てきた日に、わたしは天皇に祈っていました。
どうか、安倍政権の暴走を止めてくださいと。
しかし、祈るまでもなく、天皇は、安倍政権を許さないだろう、許せる道理がないではないか、きっとなんらかのメッセージを発せられるだろうという確信のようなものがわたしにはありました。
その翌日の天皇の「生前退位」のニュースでした。
お言葉のなかで、天皇は「象徴」という言葉を8回使っておられ、いかに「元首」にされることに強い忌避感、嫌悪感を持っておられるかが感じられました。
政府は、天皇の発言が政治的発言になるかならないかに過敏に反応することで、天皇を縛ってきましたが、憲法を守るべき義務を有する自分たちは何をしてきたのか!
今回のお言葉には、天皇の口を封じることで、憲法を踏みにじり、捻じ曲げ、ついに戦争のできる国にした安倍政権に、耐えに耐えてこられた天皇の抑えがたい怒りを感じないではいられませんでした
なぜ、政府は憲法を順守しておられる天皇から何も感じず、何も学ばないのでしょう。
これほど国民の象徴である天皇を侮り、ないがしろにする行為もないのです。
天皇が、日本各地を訪ねる旅も象徴的行為として大切なものと感じてきましたと言っておられるお気持ちには、昭和天皇の全国巡幸が念頭にあるのではないでしょうか。
なんども言いますが、戦後すぐに始まった昭和天皇の全国巡幸ほど感動的な行為は歴史上でも例がないと思います。
普通の考えでは、打ちひしがれている国民の悲しみに寄り添うにはご自身も悲しい表情をされると思うものですが、天皇はまったくそうではありませんでした。
終始、天真爛漫ともいえる底抜けに明るい笑顔で巡幸を続けられたのです。
あの天皇の明るさで戦後がスタートできたのだと思います。
「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは幸せなことでした。」
国民の多くが、天皇を前にして胸を熱くし、涙を流すのは、天皇が自分たちを信頼し敬愛しておられることを本能的に知っていているからだと思います。
決して、刷り込みによる涙でも無知の涙でもありません。
自分たちを下に見て、平気で苦痛を与える者に、感動したり涙を流す人間はいません。
天皇は、象徴天皇が、途切れることなく、安定的に続いていくことを念じていると言われました。
天皇は廃絶を考えているのではないかとか、もしかしたら、天皇制が終わるのではないかと期待した人々は自分たちの浅はかさを噛みしめてほしい。
皇室は天皇の私物ではありません。
皇統とは、この国と国民の謂いであり、それは「無私の精神」によってしか維持することは出来ないのです。
皇室は枯れることのない「泉」だとわたしは思っています。
その泉は、天皇が「多くの喜びの時、また悲しみの時を人々と共に過ごして来ました。」と言われているように、歴史のなかの喜び、悲しみから尽きることなく湧いてくるものだと思います。
天皇を思って溢れてくる涙はその泉から湧いてくるのです。
「だからやっぱり、(天皇は)財団法人皇室博物館の館長に就任するのがいいと思うのだが。」
こうツイートしているのは「反戦な家づくり」の山岸飛鳥さんです。
平和と護憲を願ういちばんの同志である天皇にたいして、あまりにもこころない非礼な言葉ではないでしょうか。
なぜ、天皇の下で戦おう、共闘しようと思わないのですか。
この発言は「昭和天皇の戦争責任」を追及することや天皇制廃止論とは次元を異にするものです。
天皇のお言葉を聞いて、このような感想を呟く人の言う反戦や護憲をわたしはもう信じようとは思いません。
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