葉山の御用邸から出てこられた天皇のお顔はかってないほど晴れやかでした。
宮内庁はいまだ知らぬ存ぜぬを貫いていますが、本来ならこういう事態には慌て、狼狽えてすぐにも善後策を協議するところなのですが、今の宮内庁にはそういう柔軟で謙虚なこころはありません。
畏れを知る人間はいません。
もちろん、推測なのですが、天皇は参院選に一縷の望みを託しておられたのではないでしょうか。
その希望が断たれたことを受け、かねてからひそかにこころに期していた「生前退位」の公表に踏み切られたのではないでしょうか。
あろうことか、東北大震災の追悼の式典で、両陛下の先導役を務めた、当時、復興大臣だった平野達夫さんが自民党へ入党して、改選議員数を不動のものにしました。
さらに自民党入りを目指す動きがあるそうです。
水は低きに流れ、人は易きに流れる、ということです。
天皇があれほど戦争のことを忘れてはいけない、憲法を守ろうと言われたのに、結局、天皇のお言葉は人々のこころの奥まで届きませんでした。
ことに、政治家はそうでした。
陛下は82歳の誕生日に
「平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が命を失ったわけであり、そのことを考えると非常に心が痛みます。」
と述べられ、その一例として、徴用された民間の船の船員がたくさん海に沈んでいったことを挙げられました。
ところが、政府はそのお言葉があって1ヶ月もしない内に、有事には、民間の船員を予備自衛官として活用するという「有事船員活用計画」なるものを発表したのです。
天皇のお言葉を聞かなかったのか、どうせ、天皇の言うことは政治的に何の意味もないとして無視したのかのどちらかだったのでしょう。
「ポスト米英時代」に
「天皇が国民の思いを統合し、伝家の宝刀を抜いたとみるべきである。」
「国民は勅令を拝命すべきである。」
とあり、読んで「ブルッ」となったのはなぜなのでしょう。
わたしは、天皇、皇室は「倫理」のお手本を示される存在だと思っています。
人間、お手本がなくてどうして生きていくのかというのが、私の人生観の基本です。
いい学校やいい会社に入って出世するために、人は勉強しますが、それはほんとうの「学び」ではありません。
人や自然から何も学ばないということは、本能のままに生きているということです。
あるいは、惰性で生きているということです。
それ以上に弊害があるのが、プライドやエリート意識の鎧をまとって外部から何も学ばない人間です。
そういう人間が社会の上層部を占めているのです。
人から学ばないから、当然人の気持ちも分かりません。
そんな人間が「生活が大事だなどという考えは間違っている」と平然と言い放って恥じることがありません。
自民党のなかでだれもそれを問題にしないのは、彼女が総理に可愛がられているからですか。
小池百合子さんに投票したら親族まで罰が及ぶという自民党のお触れもそうですが、まるで封建社会に逆戻りです。
総理と稲田朋美さんはさしずめ、将軍様と愛妾というところですね。
次は必ず「いのちが大切なんて考えは間違っている」と言い出すでしょう。
すでに、こころではそう思っているはずです。
国民の命は国のために死ぬためにあるとか言いそうです。
わたしは「国」というものが分からなくなりました。
いのちに代えて守るべき「国」の定義を示してください。
「暮らし」も「いのち」も大事ではなくて、国が大事とはどういうことか教えてください。
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