テレビで見たのですが、美濃部知事の最後の日、都庁は白一色に染まるくらいの紙吹雪と鈴なりの人々の歓声に包まれていました。
石原知事のときは、紙吹雪はありませんでしたが、花束と職員の拍手で見送られました。
猪瀬さんのときは、花束も拍手もありませんでしたが、かなりの職員が見送りました。
舛添さんが、最後の日、都庁を出て車に乗り込んだあと、三人の男性が腰を90度ほどに曲げて深々とお辞儀をしていました。
秘書の方だったのでしょうか。
紙吹雪も花束も拍手もありませんでしたが、わたしは、よかった、ほんとうによかったとこころで呟いて目頭を熱くしました。
石もて追われた舛添さんですが、3人の男性が深々とお辞儀をしたことで、大げさに言えば、辛うじて道義が保たれたとの感慨を深くしました。
ほんとうに見苦しいことでした。
だれもが大なり小なり不正をしているくせに、ここは自分をアピールできる絶好のチャンスだとばかりに舛添さんを弾劾した都議たち。
傍聴席の都民もマスコミに乗せられ、煽られて日ごろのウップンを吐きだすかのように罵声を浴びせていました。
都庁の職員という男性が、マイクに向かって、「都庁の恥だからさっさと辞めてほしい」と怒気を露わにしていましたが、ノーコメントか黙って通り過ぎるのが普通なのに変だなと思いました。
ヤラセを疑い、都庁の中でなにか企みでもあったのかもしれないなとも思いました。
この騒動で、倫理破壊が白昼堂々と国民の前で演じられました。
倫理破壊のトリクルダウンは凄まじい勢いで日本を席捲し汚染しました。
その元凶の人間たちが、道徳教育を目論んでいることへの怒りで、わたしはこころが震えます。
舛添さんは、お姉さんが生活保護を受けていることでも非難されましたが、例えば、大企業の社長でもきょうだいの面倒まで見る人はほとんどいないと思います。
みんな自分のことを棚に上げて人を非難します。
しかし、自分のことを棚にあげられない人間は、社会では陽の目をみることはなくても、その存在は誇張して言えば、かけがえのない人類の財産です。
「正気」の灯が、いま息も絶え絶えに点滅しているのが目に見えて、焦慮に耐えません。
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