産経の紙面でよく「ユダヤ」の文字を見かけるようになりました。
きょうは、宮家邦彦さんが、ユダヤ系米人団体の年次報告にパネリストとして招聘されて、今年4度目の米国出張をしてきたと書いていました。(訪米してだれと会っているのでしょうね。)
きのうは、渡部昇一さんが講演で話された「これからの日本の生き方―ユダヤに学べ」が「正論」で紹介されていました。
グローバルな自由経済の世界で生き残るには、迫害を受けてきたユダヤ人の知恵が必要だということらしいのですが、なんだか現実認識がズレていませんか。
現在はポスト・グローバリズムが模索されている段階ですし、日本人は目に見えるような迫害を受けたことがないからです。
「亡国の民」と「万世一系の民」がなぜ同じ生き方をしなければならないのでしょう。
それとも日本はこれから「亡国の民」になることを先取りして警告を発しているのでしょうか。(その可能性大ですが)
ユダヤ人の知恵から学ぶのが、徹底的な能力尊重主義と契約書至上主義だそうです。
能力主義と聞いて、わたしのこころの古傷が痛くなりました。
日本をメチクチャにしたのが能力主義です。
東大を出た、世間知らず、人情知らずの頭でっかちな人間が、ここまで日本を悪くしたのです。
そういう、小さき者、貧しき者、弱き者を踏みつけてもなんの痛痒も感じない人間がこんな日本にしたのです。
わたしは、小中を通じて、いつも勉強ができなくてみんなから疎まれているような子の傍にいました。
同情ではなく、わたし自身がおちこぼれだったので、そういう子と一緒にいるのが心地よかったのです。
おちこぼれというのは、勉強についていけないということ以上に競争についていけない人間なのです。
わたしは、なんで目を血走らせてまで勉強しなければならないのかが、まったく理解できませんでした。
能力主義とは競争主義です。
橋下徹などが推進する社会です。
いつになったら人類は競争から解放されるのでしょう。
×