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谷間の百合

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十八日 その二 失われてしまった「ものの哀れ」

きょうの石原慎太郎のコラム「日本よ」に興味を引かれるエピソードが書かれていました。
むかし、自分が大相撲の八百長を告発して物議を醸したとき、横審委員だった小説家の舟橋聖一さんから「相撲にも、ものの哀れがあるんだよ」と忠告されたということを書いています。
星を分け合うという慣習のことを指して言われたことでしょうか。
いまの人間は、なんでも八百長の一言でそれを汚い、悪いことのように弾劾しますが、わたしは、いまの価値観で批判、否定することで日本の文化から大事なもの(ものの哀れなど)が失われていっているのを感じないわけにはいきません。
お金が絡んだ事例もあったかもしれませんが、ほとんどは「ものの哀れ」に発する行為だったのではないでしょうか。

かれはまた例の白鵬の「張り手」についても批判しています。
わたしも最初は、なんでそこまでするのだろうと思ったのですが、
白鵬が後で「勝ちたかった」と言っているのを聞いて考えが変わりました。

横綱としてどうしても勝たなければならない、横綱は強くなければならないという重責を背負っているということで、そこには「横綱白鵬」があるだけで個人はないに等しかったのではないかと思ったのです。


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わたしは相撲ファンではありませんが、白鵬の口から出てくる細やかな日本語の表現にはいつも魅了されています。
それに引き替え、言葉を使うことを生業としている慎太郎はどうでしょうか。
どうも、舟橋聖一さんの言われたことも理解できなかったようですし。

こんなことを書いています。
「司馬遼太郎は、理想の日本人の資質の典型を本物の侍たちに認めていたが、そのストイシズムに裏打ちされていた高潔さは、今では刻一刻失われつつあるような気がしてならない。」

何を言っているのでしょう。
失われつつあるのではなく、あなたのような高潔さとは無縁な人間によって失われてしまったというのが真実ではありませんか。
しかし、わたしは、市井の名もなき人のなかに、わずかにストイシズムや高潔さは生き続けていると思っています。


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by michi-no-yuri | 2016-04-18 11:28 | Comments(0)
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