去年のパラオと今回のフィリッピンの慰霊を天皇は「強くご希望」されたということで、このニュースが報じられる度にその文言が必ず入っていました。
なぜ天皇は強くご希望されたのでしょう。
安倍政権が進める戦前回帰に強い危惧と焦燥の念を持っておられたからではありませんか。
だから、ことあるごとに憲法を守ろう、先の戦争を忘れてはいけないと言い続けておられるのではありませんか。
安保法案推進の立役者ともいうべき高村副総理が今回の慰霊に随行していましたが、天皇の御こころなど思ってみたこともないでしょう。
最近思うのが、昭和天皇のエピソードがお言葉と共に人口に膾炙しているのに比し、今上天皇にはそれがほとんどないことです。
わたしが思ったのは、側に仕える人間に天皇のお言葉を感受する能力と意思がないことに加え、天皇と国民の間を遮断しようという悪意が介在しているのではないかということです。
また、天皇にもこころを開いて話せる人間がいないということです。
昭和天皇のエピソードのほとんどは侍従の口を通して国民は知ることができました。
いまの侍従長がだれか知りませんが、とても天皇と国民の間を取り持つ意思があるとは思えません。
防衛省が、有事に備えて民間のフェリーを使用できるようにすると言ったことに、海員組合は「船員予備自衛官化」「事実上の徴用」だとして強く反発しています。
去年の誕生日に、天皇は軍人以外で犠牲になった人々として民間の船員をあげてこう述べられました。
「制空権もなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。」
安保法案に異議を唱えた山崎拓さんや古賀誠さんを、菅官房長官は「政界を去った人間」(が何を言おうと関係ない)だと吐き捨てるように言いました。
きっと、総理も内心、権力も権限もない天皇が何を言おうと関係ない、自分が最高権力者なのだから、と思っているに違いありません。
これが、一応「保守」ということになっている人間の本心なのです。
天皇はあくまでお飾りに過ぎません。
わたしは、つくづく「左」が天皇を推戴しないことを勿体ないことだと思っています。
革新のシンボルでもある天皇を、、
先日兄から、むかし何期も京都府知事をつとめた蜷川という人は、共産主義者だったそうですが、大の天皇ファンでもあった人だったということを聞きました。
兄は苦々しい顔をしていましたが、わたしはおもわずニンマリし「それいいね」と言って一人はしゃいでいました。
こうでなくては、、
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