コメントを下さった人が、「共謀罪で天皇の真価が問われる」と書いておられます。
天皇がそれを阻止してくれるという期待は、わたしも痛いほど分かるのですが、決してそういうことにはならないのです。
天皇は憲法を守ろうと言われましたが、改憲派の人には耳障りだったのか、それさえ政治的発言だと言う人までいました。
そして、総理は天皇の発言を無視して、改憲への決意を鮮明にしたのです。
これほどの逆賊もいないのに保守派はそれを歓迎したのです。
保守とは、ウルトラ右翼の軍国主義者のことだったようです。
何度も書いてきたことですが、都の教育委員長だった米長邦雄さんが、園遊会で天皇に、「日本中の学校で国旗を掲げ、国家の斉唱をさせることが私の仕事です。」と言ったら、天皇は「やはり、強制にならないことが望ましい」と言われました。
わたしが括目したのは、米長さんがすぐに「もう、もちろんそう、ほんとうに素晴らしいお言葉をいただきありがとうございます。」と答えられたことです。
米長さんは一瞬で天皇のお言葉を理解されたということです。
総理初め大臣は、たびたび皇居に内奏に上がっているはずなのですが、もう米長さんのような人間はいないようです。
天皇のご下問にどのような真意が込められているかを忖度するような人間はいないのです。
天皇は質問されるだけなのです。
そのお言葉に込められている真意を読み取ってそれを政治に反映させるのが政治家の務めなのに、もう形式だけが残っているというのが現状でしょう。
上のエピソードは、政治的な発言だという面ばかりが問題になりましたが、わたしにはタメにする議論のように思いました。
天皇はあくまで憲法の精神に添い、その枠内での発言しかされていません。
天皇の発言を問題にするのは、口を塞ぐのが目的ではないかと勘繰りたくなします。
天皇制廃止論者の橋下徹は、君が代を強制し、その口元までチェックするという、人権無視のナチスばりの統制政治を行いました。
文楽へのあのヤクザのようなやり方を見れば、かれがどんな人間かわかるでしょう。
日の丸、君が代を言う人間はおおよそこういう類いの人間であって間違っても愛国者なんかではありません。
みんな、天皇をないがしろにして、権力にものを言わせるようなことをしておきながら、最後は天皇に縋り、天皇に責任を押し付けるようなことをしてきたのが、日本の政治の伝統だったのです。
天皇が靖国参拝を止められたのは,A級戦犯を合祀した行為にはや「戦前回帰」の萌芽を感じ取られたからだと思います。
そして、時代は天皇が憂慮された通りになりました。
先ほど検索していて知ったエピソードです。
佐々淳行さんが、東大の時計台に最後まで立てこもって抵抗していた過激派を鎮圧したことを奏上したら、昭和天皇は「学生に怪我はなかったか」とお尋ねになったということです。
以前書いたことですが、警察庁長官だった後藤田正晴さんが、凶悪な事件を起こして世間を震撼させた赤軍派の行為を、考えは間違っていたが、その国を変えようとするエネルギーは評価すると言われたことなど、
これが「仁慈」「惻隠の情」というものです。
いま、仁慈は地を払いむき出しの対立や憎悪が吹きすさんでいます。
もはや、人間の住む世界ではなくなってしまいました。
国民が天皇の言われるおりおりの言葉を深くこころで受け止めていれば、ここまで日本は悪くなることはなかったと思います。
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