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谷間の百合

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わたしは総理に「戦慄する」

きょうの産経「正論」は「日本人の基層に触れ『戦慄せよ』」と題して、新保祐司さんが書いておられます。

「戦慄せよ」とは、有名な「遠野物語」初版の序文にある次の言葉からとられたものです。

「国内の山村にして遠野より更に物深き所には、又無数の山神山人の伝説あるべし。
願わくは之を語り平地人を戦慄せしめよ。」


ここで言われている「平地人」とは単に山人の対比としてではなく、著者自らが「迷ひも悟りもせぬ若干のフィリステル(「俗物」というドイツ語)」と別著で書いていることからも意味するところは明らかです。

新保さんが、「自然主義文学に対する挑戦的な意味も持っていた」と書いておられるのは良しとしても、現代のフィリステルを完全に見誤っておられることには慨嘆せずにはいられません。

戦後民主主義のぬるま湯の中で、とくにアメリカニズムによって埋もれていた日本人の精神の基層が今や「その土埃は拭い去られて蘇ろうとしている。」と書いておられます。

この記事のなかに、安倍総理の名前は一度も出てきませんが、新保さんが、戦後レジームからの脱却や東京裁判の見直しを言った安倍総理の出現で日本人の精神が蘇ろうとしていると言わんとしておられるのは明らかです。

集団的自衛権やTPPで総理が日本をアメリカに売ったことはどう理解しておられるのでしょう。


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かれら保守派の知識人が安倍総理を熱烈に支持するのは、総理のアメリカへの売国、追従は世間(アメリカ)を偽る仮の姿だと思っているからかもしれません。

あれは仮の姿なんだ、アメリカを油断させて、いつか真の日本をトリモドスのだと思っているのかも。

しかし、言っておきますがそのときには日本はありません。

「迷いも悟りもせぬ最強のフィリステル」によって、日本はなくなっているでしょう。

一般的に「迷い」がないことはいい意味で使われますが、この場合は考える頭がないということです。

国の将来や国民の生活を思って迷い苦しまなければならないことも、それができないからなんでも簡単に決まってしまうのです。

しかも、総理がトリモドスという日本は「遠野物語」の序文の精神とはまったく別の、世界に冠たる軍事大国日本です。

新保さん、わたしは総理の「フィリステル」に戦慄するのです。

(フィリステルほど強いものはありません。)

新保さんもそうですが、西尾さん、曽野さんなど知性も理性も経験もある人たちには、なぜその「フィリステル」が見えないのですか?

(世間知らずの)わたしが言うのもなんですが、世間を知っているはずの人がなんで、、、?

それとも、世間を知らないからほんとうのことが見えるのでしょうか。

ほんとうに、世間には尊敬できない人を尊敬している人の何と多いことでしょう。

おかげで、わたしは人から尊敬されるノウハウを知りましたw


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by michi-no-yuri | 2015-10-28 11:08 | Comments(0)
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