とくに文章において本心は隠しようがないと思います。
自分ではうまく隠したつもりでも必ずシッポが出るものです。
わたしが匿名で書けることが有難いと思うのは、実名なら(実名なら書いていません)八方美人のわたしはやはり右顧左眄して嘘は書けなくても本心を隠す細工をすることが分かっているからです。
匿名だからそういう苦労をせずに本心を書けるのです。
こういうことを書くのは、きょうの曽野綾子さんのコラムを読んでそれを強く感じたからです。
60年以上も文章を書いてきて、いまなお本心が隠せると思っておられるのだとしたら、読者を舐め切っておられるからに違いありません。
曽野さんは15日前後のマスコミの戦争特集が不快だったようです。
そんなものを振り返っても戦争を回避する行為にはつながらないのだと書いておられます。
その期間中に、取材に来たテレビ局の人間に疲れたのは、自分に9条について喋らそうとしたからだそうですが、なぜ疲れたのですか。
本心を言えないからでしょう?
9条なんて絵空事だと言いたくてもそれを言えば炎上するからでしょう?
それが言えなくて、9条守れと叫んでいる人間への嫌悪や軽蔑を隠さなければいけないから疲れるのだと思います。
「私を対人的に、穏やかな関係、できれば温かい思いやりのある方向、に導いているのは、聖書の言う「愛」だけである。」
「いじめてやろうと思う相手の中には、神さまがいらっしゃるのだから、それをしたら神さまをいじめることになる。」
と書いておられますが、その言やよしです。
ところが最後にその言葉とは正反対のことを書いておられるのです。
「この期間中のマスコミに、徹底して欠けている視点があった。戦争には必ず敵がいるという現実だ。」
あれ~?敵の中にも神さまがおられるのではないのですか。
「敵はいつでもどこにでもいる。その敵にどう対処するかを教えない心情的平和など、まず力をもたないのである。」
「愛」ではなく「力」だそうです。
結局、松本人志さんと同じことを言っておられるのです。
上記の言葉を裏切るのが、次のような箇所です。
自分は120か国近い国を旅したが、無事に帰ってこられたのは、たえず知らない人や組織に対して「用心と敬意」を払ってきたからだろうと。
敵に対して「用心と敬意」を払うことが外交の基本です。
そういう外交を放棄している総理にそれを助言すべきではありませんか。
基本は「愛」なのだと説くべきではありませんか。
どうしてこんな支離滅裂な文章になるかと言えば、本心を隠しておられるからです。
戦争の悲惨さを伝えるテレビを見て疲れるのは、そんなことで戦争を回避できないからではありません。
戦争しようとしている総理の方針に水を差すことになるからではありませんか。
そうでなければ「疲れた」などという感想はでてきません。
曽野さん、もう「愛」はいいです。
わたしが宗教を忌避するのは、その独善性と偽善性にあります。
さらに、そこから必然的に派生する他者への思いやりの欠如です。
宗教が愛を説ほどに「冷酷さ」が顔をのぞかせるのです。
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