きのうの曽野綾子さんのコラム「透明な歳月の光」を読んで、吃驚しました。
権力に寄り添うと人はこのように盲目になってしまうのかと思いました。
このごろよく言われるようになった「戦前と似てきた」論は、流行りの表現であり、それを言えるのは、実際にその時代を生きていた人、具体的には、開戦時の昭和16年には最低限15才になっていて当然だろうと言っておられるのです。
わたしも、その時代を生きていたわけでもなく、昭和史を繙いたこともありませんが、断片的な大量の情報から、戦前の空気を臨場感をもって感じることはできます。
現代の人間だからとか、時代が違うということで人間は変わるものではありません。
人間は変わらないのです。
だから、また「戦前と似てきた」ことが起きるのです。
天皇でさえその空気に抗うことができずに、戦争へと雪崩れこんでいったのに、たとえ曽野さんが当時13歳の少女であっても何も感じなかったというのはおかしくありませんか。
小説家でありながら、想像力というものを全否定されているのです。
その時代に生きていなければ、その時代のことを言ってはいけないそうです。
曽野さん、狂ってしまわれたのですか。
わたしは、人間の記憶というものを信じません。
自分の体験からも、トンデモナイ思い違いをしていたことが多々あったからです。
だから、犯罪事件の証人の証言も信じません。
目撃したときの衝撃や、その後接したさまざまな情報によって、記憶がどんどんデフォルメされていくと思っているからです。
真実は想像力の中にあると思っているのです。
曽野さんが言われるように、実際その時代を生きていた人でも、同じ空気を感じていたなどということはあり得ません。
いま、曽野さんが戦前の空気と似ていると感じておられないのと同じことです。
日中友好の始まりのころ、日本からも文化人、知識人が大挙して訪中したことがあったそうです。
曽野さんもその一人だったそうですが、だれ一人中国を批判する人がいなかったばかりか口をそろえて言ったのが「中国にはハエがいない」「子どもの目が輝いている」ということだったと。
それを、曽野さんは中国からの圧力だったと言っておられるのですが、圧力ではなく、自分からその時代やその場の空気に合わせたということでははありませんか。
つまり、空気を読んだということでしょう?
曽野さんはその時自分だけは中国の現実を見ていたと言いたいのでしょうが、でも2年前のフクシマのレポートは酷かったですよ。
中学生でもあのような空疎なレポートは書きません。
曽野さんは、いまもフクシマは収束に向けた工事が規律正しく粛々と進んでいると思っておられるのでしょうね。
ヒトラーの反ユダヤ政策という年表があります。
1933年のヒトラー政権誕生から、1943年のユダヤ人から一切の法的保護を剥奪までの(実際には早い段階でそれは失われていました)10年間のユダヤ人迫害の急激な展開は、ほんとうに恐怖で息が詰まるようです。
ヒトラー政権の誕生と共に、年表の最初(1933年)に書かれているのが、「路上でのユダヤ人襲撃や不当な逮捕」です。
日本でも、そういうことが始まっているのではありませんか。
(ドローンの少年の逮捕など)
しかし、権力に寄り添って特権的な自由を享受している曽野さんには見えないでしょうね。
曽野さん、そういうことです。
人は見たくないものは見ないのです。
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