中國の脅威を言う人は、本人には自覚がないかもしれませんが、好戦的な人間なのです。
中國をどこまでも悪者にし、悪を懲らしめるという大義名分で戦争がしたいのです。
しかし、中国は元李肇星外相が言ったように「一度も日本に対して申し訳ないことはしていない」のです。
申し訳ないことをしたのは日本です。
あるツイッターに、2005年のドイツ映画「ゾフィー・ショル最期の日々」の紹介がありました。
たしか「白バラは消えず」というタイトルだったと思いますが、むかし読んで強い衝撃を受けたことが生々しく甦ってきます。
学生だった兄妹がナチスを糾弾するビラを撒いたというだけで逮捕されわずか5日後に処刑されました。
わたしが「戦争の怖さ」というのはこういうことなのです。
ドンパチするのが戦争なら勝手にやればいいとさえ思います。
しかし、そういう戦争は戦争全体の1%にもなりません。
あとの99%がどういうものか想像したことがありますか。
戦争の本当の残忍、非道はその99%にあるのです。
脱北者の女性が、ある晩、数人の男がきて夫を連行していきそれっきりだったと言っていましたが、秘密警察の怖さはちょっと想像するだけで分かることです。
もし、なんとも思わない人がいたら、その人はいつも体制側に付く習性をもつ人間なのでしょう。
旧ソ連やドイツをはじめ、ヨーロッパのほとんどの国が戦時体制と同時に秘密警察国家になったのではなかったでしょうか。
戦争の恐怖とはそういうことです。
桜井よし子さんなどは中国の恐ろしさを言い立てます。
中國は何をするか分からない国、非道な国、国民を大量に殺した国だと言います。
そんなとき、わたしは思うのです。
そんな恐ろしい、何をするか分からないような国とどうして戦争しようと思うのですかと。
桜井さんが言うような悪逆非道な国なら敗けたら何をされるか分からないではありませんか。
恐ろしいとは思いませんか。
あなたは安全なのかもしれませんが、いつだって酷い目に会うのは子どもや女性ですよ。
天安門を言うのなら、日本にも安保闘争への弾圧がありました。
スケールや手法が違いこそすれ、為政者、国家権力の考えることはどこの国も同じです。
いま、学生運動が起きないのは、そのとき徹底的にやられた経験がトラウマになって子や孫の世代から抵抗する精神を削いでしまったのが理由だと言う人もいます。
為政者の考えることは世界共通です。
まさか、日本にだけ仁慈による政治が行われているなどとは思っていないでしょうね。
ここに至っても日本が法治国家だと思っている人はいないでしょうね。
戦争の恐ろしさは、人間から理性や正気を奪うことです。
(すでに桜井よし子さんなどがそうなっています。)
どんな残忍なこと、非道なこともできるのです。
中國残留孤児のほとんどは、親に、足手まといになるので捨てられた子どもです。
(川に流したり、谷底に突き落としたりした例もあったといいます。)
これが戦争です。
弾に当たって死ぬような戦争ならまだいいのです。
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